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■ 1998年5月7日
何時に家を出たのだろうか…。
近所の花屋で花を買ったので、
そんなに早い時間ではなかったと思う。
白いユリを1本。仲間たちも1本。
先に向かった仲間からも逐一メールが入る。
深夜からものすごい行列だったそうで…。
予定よりかなり早く。
8時半から献花が始まる。
その頃には築地に到着していたかな…。
どうだったかな…。
とにかく駅をあがると人だらけ。
歩道橋も安全のために封鎖。
行列の最終尾までにかなりの時間を費やして歩く。
自分はロック系の襟のついたシャツに、
父親から借りた黒いネクタイ。
そんなものは数分もしていられないほどの夏日。
勝どき橋を降りて川沿いを歩く。
次の橋まで歩く。何キロあるんだろう…。
コンビニなどの飲み物も完全に売り切れていて、
時おり通りかかるアイス売りだけが補給出来る水分。
たった1本のアイスが何百円もし、
それも半分溶けかかっている…。
当然、花屋の花も全部売り切れ。
花を選ばず何もかも売り切れ。
そんな黒い列に永遠と並び始める。
当時はもちろん、携帯にテレビなどもついていないため、
列の先のほうにいる仲間からのメールが頼り。
それでも電波が届かなかったりしている。
そりゃそうだ…。これだけの人数が一斉にメールをするわけだし。
そんな時代でしたね…。
いつ、どこで何が行われているかもわからず、
ただただ熱さでしおれていく花を持って並んでいました。
知っていたのは3時15分出棺という時間だけ。
その時間で献花は打ち切るということだけ。
どう考えても、その時間までに終わる気配はない…。
どうしてもひと目HIDEを見たい…。
最後のHIDEを見送りたい…。
2時まで並んでも勝どき橋には着かず…。
仕方なく築地本願寺方面へと向かい始める。
普通に歩けるならばどうってことない距離だけれども、
とにかく歩道を歩くのも難しい。
なるべくはぐれないようになんとか正門前の大通り近くまで。
それでも正門まではほど遠い…。
というか、行くことも出来ない…。
大汗で誘導をする警察官。
なんとか歩道からはみ出ないようにしてはいるが、
あまりの人で車道に押し出されそうに…。
当然のことながら、歩行者天国ではなく、
車も普通に走っている。
車どころか…救急車は絶え間なく往復している。
暑さなどで倒れたファンなのだろう…。
なんとか大通りが見える位置をとり、
そこで出棺の時間まで待つことに。
周囲からは号泣の声が響き渡る。
そこでも、あそこでも座り込み、横たわり、
立っていることが苦痛の人も少なくなく。
嘔吐を繰り返している人も。
そのまま倒れてしまう人も。
飲み物もなく、暑さの中、ただじっと待つ。
何万人という人ごみのライブハウス状態でした。
何かちょっとしたことが起こると人が一斉に動く。
自分からは当然聞こえることはなかったけど、
正門にいるファンから伝言ゲームのように、
情報が横に流れてくる。
今 " Forever Love " が聞こえたらしい。
Xの曲が聞こえても嬉しくもなかったです。
それはHIDEとの別れが近づいていることだから…。
そろそろ出棺なのだろうか…。
時間は遅れたか…遅れなかったか…。
そう遅れなかったと記憶しています。
正門側から大きな悲鳴が。
それに吊られてか、周囲からも大きな悲鳴が。
少し背伸びをすれば正門が見える位置。
何か警察官の動きが激しく感じる。
悲鳴がHIDEを呼ぶ大きな叫びに。
自分も精一杯HIDEの名前を呼ぶ。
HIDEに向かってHIDEと叫ぶ。
これが最後だから…。
黒い車が正門から出てくる。
もう人の大きな波に耐えるのだけで必死。
この場所はガードレールがあるだけマシか…。
ヒーデー!!
車の速度と同じように、悲鳴も流れてくる。
自分の前を一瞬に通り過ぎたHIDE。
その時、自分は瞬時に手を合わせたと思う。
泣き叫んでいたのでHIDEの名前を発することは出来なかった。
何かに開放されたように人が一瞬にはけていく。
自分は渡せなかった花を持って、
X友と正門へと向かう。
もちろん行くことも難儀ではあったけど、
それでも掻き分けてなんとか正門へと。
閉じられた正門。山になっている献花。
その場へ行くことは出来なかったけど、
正門の鉄槌の間に花を添えてきました。
少し人が減るのを待ち、そのまま電車で帰宅。
電車の中でも涙は止まらず…。
周囲は何かと思ったでしょうね。
それでも止めることは出来ず…。
そのまま家へと帰りました。
これがHIDEと自分の最後の思い出。
一海外のファンとして、その時の私は、Xのことやhideさんのこと、全然しりませんでした。だから、そういう辛い思い出もありません。
でもそれは、幸か不幸か。。。
初めてhideさんのことを知ったのは、99年の9月かな。当時、hideさんの名前も全然知らなかったが。。。ただ、自分の日本語教師からXのことを聞きました。
本当に今年13回忌法要で、初めて気付きました。私、hideさんのことを知ってる時間は、永遠にhideさんをなくした時間に及びません。
まだ会ってないのに、もう別れたという感じ。
ただ1年の差だけど、永遠。
でも。。。
でも。。。
本当に、生まれてくれてよかった。
本当に、会えてよかった。
ずっとずっと、そう思っています。
ありがとう、hideさん。
好きになったときには、もうhideはいなくて昔の映像や本などでしかhideに会えなくて
それでもhideが大好きになれて
これからもずっと好きだろうし尊敬していきます
でも自分がどんなに好きでも当時のファンの人の気持ちはわからないと思います
やっぱり言い方をかえれば体験できないってことだと思うから
この文章を読んで、もし自分があの当時にいたらどうなるんどろうと思います
烈さん、辛い思い出をアップしていただいてありがとうございます
文章にするの下手なんで変な文になり、かつ長文失礼します
13回忌の法要で改めて思いました。
その存在は年々心の中で大きくなるばかり。
いつまでもXJAPANのギタリストでありアーティストhideです。
いろいろあるけど8月に会いに行けるように頑張るけえ
困ったときにはついつい頼っちゃうけど
これからもよろしく!!
なぁ!hideにぃ!!
大勢いたと思います。
私もその一人でした。
中学生だった私にはあまりにも遠い距離で、、、
Ⅹを知って2年しか経ってないのに
バンド解散、そしてHIDEの死、
夕方のワイドショーしか情報がなく
部活サボって一人泣きながら観てたこと覚えてます。
私も当時はきちんと献花できず、この間勝どき橋から並んで献花出来ました。
あの頃出来なかったことをやり直せた気がして、これからが本当のスタートなんだと思いました。
もうあれから12年。。。でも何時までも色あせないHIDEが大好きです!
私もあの時は築地に行くことが出来ない精神状態でした
あの時からつい最近まで「Forever Love」とhideの曲は聴く事が出来なかった
わかってはいても、それまでもhideにそんなに会えていたわけではなかったので、「今も海外でレコーディング中かな???」なんて思っていて、受け入ること出来なかった自分がいました。
今回13回忌に参列してやっと受け入れられたような気がしています。
…とは言いながら何かあると「ねえ、hideちゃんっ!!!」ってhideちゃんに語りかけている自分がいるんですけどね
私はhideと同じ時代に生きれて、hideに出会えて幸せです。今までもこれからも…ずっと。
あの時は、「なんで?どうして?ウソ?そんな事は無い」という言葉が頭の中をめぐり、TVからの情報を必死に追う私。
幼い子供たちの声がじゃまになり、声をあげた私を、夫は制しました。
この時の場面、気持ちは鮮明に焼きついています。
そして、あの時の築地本願寺は本当に凄まじい状況だったのですね。
烈さん、
13回忌がすぎたとはいえ、エネルギーがいったことと思います。
UPありがとうございました。
PS.
23日のMステにRIZEというバンドが出演し、紹介で、HIDEちゃんのピンクスパイダーを演奏しているVが流れました。
うれしかったです。