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■ 1998年5月3日
ほとんど覚えていないです…。
ただ…ただ悲しい日々が…。
ゴールデンウィークということで休みの日もあったけど、
仕事にもちゃんと出ました。
仕事中も思い出すと…涙が溢れてきましたけど…。
朝から晩まで永遠に繰り返される報道。
ファンが始めて耳にするhideの新曲も流される。
" ピンクスパイダー " と " ever free "
こんな形で新曲を聴きたくなかった…。
HIDEの自宅マンション前。
HIDEの実家。
そして…原宿駅前などの映像も。
ファンが座り込んでいる。
どこに行けばいいかわからないんです。
1人ではいられないんです。
自分はずっとX友の家へと。
翌日にはYOSHIKIが緊急帰国。
成田でのその姿に…少しだけ安堵しました。
報道では自殺原因の究明など。
本当にどうでもいいことを真剣に話されている。
自分にとっては本当にどうでもいいことであった。
どう何が起ころうとも、
もうHIDEが戻らないのが現実でしたから。
■ 1998年5月4日
昨夜。Xのメンバーや、
LUNA SEAのメンバー、東海林さんなどが
築地本願寺に入る姿がワイドショーで流されている。
この日も…当然1人でいることは出来ず…。
どこを向いて、どこを見ても。
目をつぶっていても…涙が止まらず…。
築地本願寺へとHIDEの棺が…。
本願寺前にはすでにファンが集まっている。
自宅…実家にも花束や寄せ書き、タバコ…お酒…。
HIDEがいた場所に行けば、
少しでもHIDEに近づけるような気がする。
そんな気持ちがすごくわかりました。
ワイドショーでは相変わらず、
新曲の詩と死を関連つけようと、
本当にくだらないことを繰り返している…。
いや…くだらないことばかりではないのですが。
本当に長時間の枠を取り、
HIDEの歴史を丁寧に紹介してくれていた…。
自分もこの日は仕事が終わり、
直帰的にX友の家へと向かう。
Xの話をし、HIDEの話をし、
それだけで心が落ち着いていました。
そんな日々が続いた中。
築地本願寺の正門にてYOSHIKI本人から追悼文が。
手も声も肩も振るえ…。やっとの思いで読み上げるYOSHIKI。
たった数枚の手紙すらも時間をかけないと読み上げられず…。
でも、そんなたった一言がどれだけ勇気づけられたか。
「今回、突然彼の死を聞いてとてもショックです…。今もまだ…信じられない気持ちです…。今…とても綺麗な顔をして…眠っています。何度も起こそうとしましたが彼は眠ったままです。HIDEはX JAPANの中でも一番冷静に物事を考える人でした。リーダーでありながら短気で衝動的に行動する僕に…いつも冷静で的確な助言をしてくれたのも彼でした。もちろん様々なプレッシャーの中で彼が彼自信を見失うこともありました。でもそんな時には必ず僕に電話をかけてきました。バンドのこと。音楽のこと。友達のこと。人生のこと。ファンのこと。どんなことでも話し合いました。時には兄のように感じられ、時には弟のようでもありました。また…ファンのみんなの声…気持ちをいつも僕に伝えてくれたのもHIDEでした。うまく言葉がまとまりませんが。彼は本当に知的で冷静に物事を考える人でした。時にはお酒を飲んでお互いに喧嘩もしました。でも次の日には必ず「YOSHIKI…昨日なにかしたっけ?ゴメンね。何も覚えてなくて。」そんな感じでした。でも今回は何も言ってこないまま眠りについてしまいました。ファンの方々。友達の方々。みんなとても混乱していると思います。ただ…自分自身もこの悲しみをとても言葉などでは…表現出来ませんが…。ただ…今こうなってしまった以上。僕らは現実をしっかり受け止めないとならないと思います。ご両親をはじめ。家族の方々。友達の方々。みんな頑張っています。そしてX JAPANのメンバーもみんな頑張っています。だから…ファンのみんなも頑張ってください。いつも僕らを励まし…支えてくれたHIDEを今は僕らやファンのみんなの力で素敵に送ってあげましょう。彼の永遠の…永遠への眠りを…暖かく見守ってあげてください…。X JAPANリーダーYOSHIKI。」
■ 1998年5月5日
マンションや自宅に備えられた花束などは、
そのまま関係者が築地本願寺へと運ぶ。
そんな築地本願寺の前では…。
すでにファンで歩道が埋め尽くされている。
門や柵には花束が挿してある。
報道でしかわからないので、
とにかく報道を見入るけど…。
どこまで真実なのかもよくわからない…。
盛大な音楽葬祭にする…って…?
残念ながら後追い自殺のニュースも。
自分の周囲でも…。
自分はまだ大丈夫だけど、一緒にいる仲間も心配…。
学校などもある人もいるし、
でもとにかく朝から晩まで涙を流し続けていたと思う…。
この日。築地本願寺では密かに密葬が。
■ 1998年5月6日
この日の10時から20時までファンによる献花が始まる。
あまりの行列のため、開始時間は早まったと思う。
自分は不参加…。友達数人は訪れたようです。
報道でも正門に掲げられた「hide告別式」などの文字が、
とても辛かったですね…。これが現実なのだと…。
そしてX JAPANメンバーによる記者会見。
そこにはHIDEを覗いた4人の姿が…。
TOSHIが語る間…ずっとTOSHIの背中を支えるYOSHIKI。
そんな姿がとても記憶に残っています…。
私、初めてです。当時、実際に葬儀に参列した方の気持ちを知ったのが…。烈さんが書いてくれた様子やその時の心情を読んで、また胸が痛くなりました。
皆さん、そうなんでしょうね。今回、13回忌の法要に参加が出来た事で、区切りは付けられるかもしれませんが、忘れる事は絶対ないでしょう。それぞれ違う環境でも、同じ痛みを感じた事を…。
やばいっ!仕事さぼって書き込みしてるのに、泣きそうになった(^^;
そうでした!そうでした!
自分もネットはやってなかったですね…。
ただ友達が「パソコン通信」をやっていたので、
それでhide自宅を調べてもらったような、そんな記憶があるような…。
>区切りは付けられるかもしれませんが、忘れる事は絶対ないでしょう。
うん。忘れる必要はないと思います。
風化してしまうのも寂しいですし…。
でも悲しみだけは…少しずつ和らいでいると感じます。
それもこれも、やはりXが動き始めたから…なのかな~。
前にフランス公演でサブタイトルがついてましたが、
「痛みを終わらせるために」でしたっけね?
本当、そのままに進んでいるようにも思えます。
まだこれからも長い長い旅路ですが(笑)