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livedoorニュース
今、自分が親の歳になって感じること
ー若い人たちが道を踏み外さないように本を書きました、とおっしゃっていました。若い人たちがToshlさんのようにならないために大事なことは何でしょうか。どんな点に気をつけたらいいでしょうか。
人によっていろんなケースがありますし、一言で言うのは難しいことだと思います。まずは身近な所に落とし穴があるんだとお伝えしたいと思います。
たとえば家族、身の回りにいる人、学校の先生でもいいかもしれません、自分がこの人は正しいなと思った人に相談することだと思います。
僕の場合は父親がそういう存在だったと思うんですが、団体にいる間に亡くなってしまったので言葉を交わすこともあまりなかったんですけど、やはり父親に相談し、もっとメンバーに心を開いて、幼なじみでしたから、相談すればよかったかなと思います。でもそれが恥ずかしいな、みっともないな、かっこわるいなという思いがそれを止めていたと思います。
ですから恥ずかしいと思っても、素直に正面から打ち明けることをすればよかったなと思います。特に男の子の場合は父親に対して話にくいかもしれませんが、相談してみたらオヤジなりに真剣に向き合って答えてくれるんじゃないかなと。自分に子どもはおりませんけれども、今、自分が親の歳になりまして、そう感じます。
ーToshlさんが今相談できる方はいるのか。今後どのような活動をして行こうと考えているのか。
本にも登場する、僕を救ってくれたおじいさんがいるんですけど、相談することよりも、彼だったらどう考えるだろう、どう対応するだろうという、また父だったらどう対応するだろう、どっちを選ぶだろうと考えることもあります。 友人ですと、フレンチの三國清三シェフにお世話になっています。彼も尊敬する男性のひとりなんですけど、彼だったらどうやって切り開いていくだろうと。身近にいる、信じられる人間、彼ならどのように考えるかな、というのを考える、行動する、あるいは直接相談する。
メンバー、YOSHIKIとは幼稚園の頃からですから、もう45年くらいの付き合いになりますけれども、今が一番仲が良いような状況で、何でも話し合って進めていこうと。いろんなことを乗り越えて、そういう関係性で共に歩むことができるようになりました。
今後はこのような機会を持って、子どもたちに伝えていけるような、喋る場を設けていけたらいいなと思っています。 音楽活動もこれからまた世界に挑戦していきますけれども、新たなスタートラインに立った気分で、フレッシュな気持ちで前に進んでいきたいと思っております。
ー大変厳しい、辛い経験をされましたが、この経験は音楽にどのような影響を与えたか。
僕は音楽家ではあるんですけど、その前に一人の人間として、また男として、これから歩んでいきたいと思っております。自分を表現していく、経験を形にする手段として、歌、あるいはそれを楽曲にする、言葉にしてみなさんに伝えていく表現者として歩んでいきたいと思っております。
この経験は非常に大変なものでしたけど、伝えていくことが自分の何よりもやりたいことで、それが希望になっていく、光になっていくと、今この場で思っております。
ー奥様がMASAYAさんのところに行ってしまっていたとか、誰でもわかるようなゴージャスな生活をしていたから気づいたのだと思います。もし彼らが本当に献身的に活動しているような演出をしていたとしたら、もしかしたら気が付かなかったんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
完璧な演技をしていたら、おっしゃる通り気付かなかったと思います。表面上だけでも何か子どもたちのためにやっていたら、おそらく気付かなかった可能性が高かったと思います。でも彼らも人間ですから、何かぼろがでるというか、気づくこともあったかもしれないとも思います。
信じてしまうと難しいんですけど、今は情報の時代ですので、少し疑問に思ったら自分で調べることができます。色んな人の意見を聞いたり、情報に耳を傾けたりすることが大切なのかなと思います。
HIDEもTAIJIも、日本が誇るかっこいいギタリスト、ベーシスト
ービートルズがインドのマハリシの指導を受けていた当時、マネージャーであったブライアン・エプスタインが亡くなった。ジョン・レノンは、エプスタインがなぜ死んだかをマハリシが説明できなかったと言った。
HIDEさんが亡くなった時、MASAYAさんはそのことについて、なぜそうなったのか、どう解釈すべきか、説明したのか。また、数年前に自殺されたTAIJIさん、彼もカルト集団に入りそうな印象があったが、何か連絡ありましたか。彼の思い出は。
本の中にも書いておりますけれど、MASAYAたちはHIDEの死を逆に利用しました。要は自分がお前を救ってあげたから生きていられたんだと。あのまま行けばお前も死んでいたかもしれないんだ、という罵倒や暴力を、お葬式の日、解散コンサートの日の朝もされました。さすがに自分もその言葉は受け入れることができず、さらに激しい暴力や罵倒を受けました。
マハリシさんのことはわかりませんけれども、MASAYAのところは本当に勉強するところ、学ぶところではなく、偽りの詐欺集団であったと思います、思想や学びや宗教性は全くないと思います。ただの心理的なものを利用した僕は詐欺にひっかかったんだなと思っております。
TAIJIのことですけれども、2010年、僕が抜けだした時にX JAPANとして日産スタジアムでコンサートしたときに彼をゲストとして呼んで演奏しました。
彼は体にちょっと障害があって、大きな病気もして苦労してきたんですけど、一緒にステージの上で演奏できて本当に喜んでいました。今でも思い出に残っています。TAIJIが亡くなった時、妹さんから連絡をいただきまして、"何かあったらToshlに連絡をしろ"と言ってくれていたそうです。彼とは話をすることがあまり出来ませんでしたけれども、ずっと、離れていても信頼をしていて、彼の死を残念に思います。
HIDEにしてもTAIJIにしても、世界で有数の、日本が誇る、かっこいい、テクニカルなギタリスト、ベーシストであったと思います。
ネガティブなことをベースにしたから共感を呼んだ
ーいままでのX JAPANの曲、歌詞は、割に暗い、物悲しいものが多かった。今、大変な経験をされたあと、楽曲を違う方向に導きたいと思っているのか。例えば若い方を勇気づけるような元気づけるような音楽を作ろうと思っているか。
X JAPANの音楽はほとんどがYOSHIKIによるものです。彼の著書にもありますけれども、お父さんを亡くしております。 彼の作品を見るにつけ、痛みや悲しみを乗り越えたこと、全てそこから来ているんではないのかと思います。後悔や思い、愛を表現しているんではないかなと、歌っている僕としては思っています。 ですから、表面だけポジティブな歌詞ではなく、誰もが色々な痛みを、人に言えないことを抱えている、そこからでもなんとか、一歩でも前に進んでいこうとか、少しでもポジティブに生きていこうという作品、僕はそのように思っております。僕は彼の曲をとても愛しています。
殆どの曲はもう20年以上前に作られた曲ですし、僕らは10年間にわたって活動していませんでしたが、その間に世界中にファンが増えていくという不思議な状況でした。レコーディングに時間をかけて、ボーカル録りに1年も2年もかけて、今では到底できなかった、アートを作る気持ち、闘いながら苦しみながら作っていました。 そんな曲が10年経って、20年経って、今もなお新たな世界中のファンに聴いていただける、広がっている。大変な思いをして作って、真面目に、真剣に取り組んできて本当に良かったなあと思っています。
世界中のファンの方々に共感していただけるのは、おそらく悲しみや痛み、苦しみといったネガティブなことをベースにしたからこそではないかなと思っています。これからもその方向性はおそらく変わらないと思います。ただ、言葉など、表現は変わって行くかもしれませんが、ベースにあるもの、中心にあるものは変わらないと思います。
18歳の時に"二人でバンドやろうね"って言った感覚
ーYOSHIKIさんとは今が一番仲が良いということですが、過去と今、二人の間、またメンバーとの雰囲気はどう変わったのか。変わった理由はなんだと思うか。
僕も本当に色々なことがございました。YOSHIKIも本当に色々なことがございました。ちょっと形は違いますけれども、方向的には同じようなトラブルに彼も悩まされ続けてきたと思います。 バンドは一緒にやってますけれども、それぞれの人生の中で色々な大変なことがあって、彼もそれを乗り越えて、僕も乗り越えた。色々な損失は有りましたけど、お互いが色んなしがらみを断ち切ってクリアになった状態の時に、たまたままた出会ったものですから。
ある種スッキリした気持ちで、一番最初、18歳の時に東京に出て"二人でバンドやろうね"って言った、あの時の感覚に近いフレッシュな、余計な取り巻きも有象無象も無く、何かストレートに挑戦していけるような、なにかそういう色んな背景、タイミングがピッタリ来たんだと思いますね。2010年に。
今は、アマチュアな時の感覚が蘇ってきたことと、色んな経験をして大人になった部分、成熟してきたものがプラスアルファされて、歯車が非常にうまく噛み合って、バンドとしてのパワーがうまれているんだろうなと思います。
どっちかのタイミングがずれていたら、一緒にできていなかっただろうなという、せっかくのそういう不思議なチャンス。二人で舞台に立つチャンスをもらえていますので、チャレンジしていきたいと思います。
僕とYOSHIKIが噛み合っていると他のメンバーも自然と噛み合って来るんです。僕たちに我慢強く付いてきてくれて有り難いなと改めて感謝の気持ちでいっぱいですし、一緒にトライしていこうぜと、気持ちを共に新たにしているところです。
歌も声の状態も気持ちも、今が一番良い
ー来月マディソン・スクエア・ガーデンで公演を行います。それは素晴らしいことですが、ロック・ミュージックの世界では、スーパースターになるのは20代30代がほとんどだと思う。その時期を失ってしまったと思うか。まだまだ世界征服できると思っているか。
実際、確かに"失われた10年"が僕にはございますけれども、あのまま行ってもチャレンジできたのかなと。それもわかりません。こうだったらというのは色々言えますけれども、時は返ってこないので、時間が必要だったと割り切って考えています。それなりのいろんな経験や時が必要だったのだろうと考えていますし、逆にこの歳になっても新たなチャレンジができるという喜びを感じているところです。
とくにYOSHIKIは、ただ話題作りのためとか、やってみようということではなくて、人生をかけて本気で世界にチャレンジしていこうと真剣にやってきて、アメリカに移住して20年になります。そのようなパートナーと一緒にこの歳になってやっとチャレンジできる。
色んな意味で時が熟したんだろうと今思っていますので、確かに年齢的にはだいぶ上がりましたけれども(笑)、歌の状態も、声の状態も、なにより気持ちの上での状態も、今が一番いいのではないかと、そのように思っております。
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