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YOSHIKIのインタビュー…というか、

インタビューの抜粋ですね。

掲載されています。

 

 

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JAPAN WIDE
http://www.jwide.com/news/news.htm?id=4432 


X JapanYoshikiNY紙がインタビュー、MSGコンサートや今後の予定

 

10月11日、X Japanがマンハッタンのマディソンスクエアガーデンでコンサートを開催したが、地元ニューヨークに本拠を置くエンターテイメント情報誌「ハリウッド・ソープボックス」では、コンサートについてや、その背景、今後の予定についてリーダーのYoshikiにインタビューを行っている。

 

インタビューで、「コンサートはうまくいったと思います」と語るYoshiki。「コンサートは非常にうまくいきました。観客は驚くべきものだったと思います。」と話す。

 

記事では、マディソンスクエアガーデンでの公演は、Yoshikiにとっては感情的なコンサートだったとしている。「2人のメンバー、結成メンバーのうちの2人は、亡くなりました。そのうちの一人はHideです」と語るYoshiki。「彼は1998年に亡くなり、もう一人のメンバー、Taijiは2011年に亡くなりました。だから、マディソンスクエアガーデンのようなところで公演することは、常に私たちの夢だったのです。公演の間、公演の前からでさえも、1日前から、バンドの歴史について考え始めました。どのようにしてここに来たのか、このようなものを持つようになったのか。公演の前でさえも、ほとんど泣き出しそうになりました。新しいメンバーと共に、彼らもここにいたらよかったと願っていました。観客の反応と全てが、とても感情的にさせました。」

 

X Japanは、2010年と2011年に行われた最後のワールドツアーの後、一時的に活動を停止することを決めた。ToshiPataHeathSugizoを含むバンドメンバーは、再びファンを楽しませるためには、わくわくさせるようなキックオフイベントを行いたかった。それが、マディソンスクエアガーデンでの公演が可能性として表面化し始めたときだったと言う。「新しいチャプター、新しいワールドツアー」の出発点だったとYoshikiは語る。

 

バンドを取り巻く悲劇へのYoshikiの思いは、3時間のコンサートではっきりとしていた。また、シンガーのToshiとの友情も明らかだった。「4歳の時に彼と出会い、彼もその時4歳でした」とToshiについ語るYoshiki。「4歳の時にピアノを始め、10歳の時にドラムを始めました。だから、Toshiとは同じブラスバンドにおり、10歳の時に一緒にバンドを始めたと思います。」

 

YoshikiToshiは、マディソンスクエアガーデンのステージを後にしたのも最後だった。2人とも「日本の田舎」で育ち、周辺にはほとんどロックバンドがいなかったと語るYoshiki。初めから、2人のミュージシャンたちは世界での成功を目指していた。アメリカでいつの日か大きな事をしたいという願望を持っていた。Yoshikiは、中学の先生が将来に何になりたいかクラスでたずねたときの思い出も語った。医師や社長など一般的な答えもある中、「ロックスター」と先生に答えていたと言う。

 

 「まだ覚えています」と付け加えながら、「Toshiと私は東京に来てメンバーを探し始めました。Pataに出会い、ベースのTaijiに出会い、ギターのHideに出会ったのです」と語る。

 

 【コンサート後にもレビュー: X JapanNYコンサート、ビルボードなども報道、現地紙もレビュー】

 TVニュースでも報道: 全米一のニュース専門TVFOXニュースでのX Japanコンサートの報道】

 

X Japanの黎明期には、そのカラフルな衣装やヘアスタイルによって知られ、東京のクラブでの演奏を行っていた。400人の会場を埋めることから始まったバンドは、東京ドームでの5万人のファンを含む、より大きな会場へと発展した。

 

X Japanの曲は、「愛しています」や「一緒にいたい」といった、よくありがちなテーマとはあまり関係なく、人生をテーマにしたものが多いと語るYoshiki。人生とその奮闘への焦点は、幼少期にまでさかのぼる。「10歳の時父親が自殺したので、人生についてより多く語りたいのです」と語るYoshiki。「そのような若いときから人生について考え始めたのです。なぜ私たちが存在しているのか?この世の中で生きている理由は何なのか?」

 

 「私が書く歌詞は二重の意味をもてます。みんな好きなように翻訳することが出来ます。時には少しあいまいになります。そう、悲しい歌詞を書いても、何らかの形でポジティブなメッセージを入れました。音楽は私を救いました。もう一度、父を失ったとき・・・私が出来たことはピアノを弾いたこと、ドラムを演奏したことだけ・・・だから、音楽は私を救い、だから、同じように何とか音楽を通して誰かを救いたいのです。」

 

 「ほとんど35年になる私たちの歴史の中で、最高の形になっています」と語るYoshiki。「完全にうまくいっています・・・肉体的には分かりませんが、精神的には今まで最高の形にあります。」

 

ファンが待ち望む次のプロジェクトについては、「来春までにアルバムを仕上げ、来年の夏までにリリースし、ほぼ同時期にツアーをスタートすることを目指しています。早くなるかもしれませんし、少し遅くなるかもしれませんが、現時点での計画です」と話す。

 

マディソンスクエアガーデンでの公演では、アルバムやレコードで正式にリリースされていない曲が5曲演奏された。

 

 「(現在制作している)アルバムは、80から90パーセントは英語で、10から20パーセントは意図的に日本語として残すつもりです」と語るYoshiki

 

これまでにない特別なものであったマディソンスクエアでの公演について、「何年あのように演奏できるかは分かりません」と語るYoshikiは、「しかし同時に、マディソンスクエアガーデンの公演はゴールではありませんでした。単に別のチャプターでした。あといくつチャプターが残っているか分かりませんが、X Japanの次の時代に進もうとしているのです」として、インタビューを結んでいる。

 

 

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