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本日の産経新聞です。
今週が最終回ですね。
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msn.産経ニュース
● 小松成美 ミュージシャン・YOSHIKI(4)
音楽こそが“希望”を導く
18歳で館山から東京に出たYOSHIKIは、アルバイトをしながらライブ活動を始めた。
「Xをバンド名にしたのはアルファベット1文字なら目立つと思ったからです。それにXという文字には、未知数、無限の可能性という意味があった。何も知らない素人でしたが、日本のロックバンドの頂点に立ってやるという意気込みでした」
毎夜、演奏を重ねながらYOSHIKIとToshiは、自分たちの音楽が日本を席巻することを疑わなかった。だがYOSHIKIとXのメンバーの自由な振る舞いが、至るところで物議を醸したのも事実だった。
見たこともないドラムの早打ちも、空気を切り裂くような高音のボーカルも、派手なメークや衣装も、スプレーで固め逆立てた長い金髪も、周囲に衝撃を与え、「彼らはいったい何者なのか」という興味を抱かせた。嫌悪する者もいたが、Xのパフォーマンスと楽曲は、ティーンエージャーやコアなロックファンの注目の的になっていく。
ステージを見た大手レコード会社からメジャーデビューの誘いが来ても、YOSHIKIはいとも簡単にそれを断った。
「プロデビューすることが目的じゃなく、僕たちの望む音楽を自由に表現できる場所を求めていたんです」
Xがインディーズで活動した80年代、ハードロック、ヘビーメタルというジャンルは、マニアのための音楽だと位置づけられていた。Xはそんな既成概念をぶち壊していくことを目指し、古い考えを押しつけるレコード会社や音楽評論家と戦った。
自分が社長となってレコード会社を立ち上げ、アルバムを発売し、精力的に全国ツアーを重ねたXは、すぐにロック界の寵児(ちょうじ)になっていった。
1989年4月、CBSソニー(当時)からアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビューを飾ると、驚異のセールスを記録した。
Xが起こした変革の風は他のバンドにも影響を与えた。レコード会社との前例のない契約も、テレビ番組への出演も、メッセージを込めた楽曲のオリジナリティーも、ビジュアル系と呼ばれることになる奇抜なファッションもXがもたらしたものだ。
「目の前に壁があれば、むしろ燃えました。どんなに高い壁があっても絶対に諦めず、ぶち壊して前進する。それがXの合言葉でしたから」
90年代に入ると、ロサンゼルスに移住してのレコーディングや東京ドーム公演、ミリオンセラーなど、破竹の勢いだった。
しかし、不可能などないと思えたXにも、やがて、暗雲が垂れ込める。不眠不休のアルバム制作と全国ツアーでYOSHIKIの体は傷み、たびたび入院を余儀なくされた。92年8月にぶち上げた海外進出は、その後棚上げになる。そして、ついに鉄壁だったバンドに亀裂の生じる日が訪れる。
Xではもう歌えない 去りゆく友への思い
「97年4月、ロサンゼルスのレコーディングスタジオに僕を訪ねてきたToshiが、Xを脱退したいと言いました」
「もうXでは歌えない」と告げたToshiは、他に追求したい世界を見つけたと言った。
YOSHIKIは、脱退を切り出した親友の瞳を見た瞬間、二度と彼が戻らないことを察知する。
「あの頃、『DAHLIA』というアルバムを作っていたんですが、僕は完璧を求めるためにToshiに過酷なレコーディングを強いていました。まるで彼をマシンのように扱った。そんな中で、彼はXとは違う生き方を求めたんですね」
他のボーカルを探しXを続けることも考えたが、録音したToshiの歌声をレコーディングルームで聴き続けたYOSHIKIは、ある事実に突き当たる。彼というボーカルがいなければXの存続は不可能だと悟るのだ。
「僕の楽曲は、すべてToshiのために作った曲でした。つまり、Xの曲は彼以外には歌えないものだったんです」
解散を決めたYOSHIKIは、Toshiと言葉を交わさぬままラストライブを迎えた。
「Xを去っていくToshiに怒りを抱いたこともありました。でも、最後のステージの上で向き合った彼は、保育園で出会い、28年間も一緒に過ごした幼なじみのToshiだった」
その後2人は、98年5月のHIDEの葬儀を最後に、再び会うことがなかった。
Toshiの活動を伝え聞くことはあっても、同じステージに立つことはないと、YOSHIKIは思った。
99年11月の皇居前でのピアノ演奏を機にミュージシャンとしての活動も再開したYOSHIKIは、クラシック曲の作曲や指揮、ソロプロジェクトに時間を割きながら、次第にXというバンドへの想(おも)いを強くしていった。
「新しい音楽を作りながら、Xがどんなに凄(すご)いバンドだったかを改めて感じていたんです」
時が流れ、心の傷は静かに癒えていた。
「会うことはなかったけれど、いつの日かToshiが戻ってきたなら、もう一度Xを復活させたい。自然とそんなふうに思えるようになったんです」
そして「X」の復活 もう迷いはない
まるでその思いが通じたかのように、2006年10月、1本の電話がロスのスタジオに入る。Toshiからだった。
「9年ぶりに声を聞いて、抑えられない感情が沸き起こったんです。何度か会ったあと、HIDEのために作った曲を歌ってもらった。そのToshiの声は、本当に素晴らしく、この声のためにまた曲を作りたい、そう思えました」
YOSHIKIの中でXを再結成する決意が固まった。ついに、10年の時を経てXが復活したのだ。
08年3月に東京ドーム3DAYSを成功させたXは、翌年には初の海外公演となる香港と台湾でのライブを行った。
「もう、迷いはなかった。Toshiと語り続けた世界進出の夢を叶(かな)えるんだと強い気持ちでいられました」
だからこそ、09年7月、再起不能の危険さえあった頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアの治療のため、首にメスを入れた。
「長年の激しいドラミングで頸椎を痛め、左手の感覚を失っていました。でも手術は成功し、多少しびれは残っていますが、今はこれまで通りドラムを叩(たた)くことができます」
今年9月に南米で、10月にはアジアでツアーを行うYOSHIKIは、15年ぶりのアルバムを完成させるため、日夜スタジオで編集作業に追われている。
今、YOSHIKIの心には18歳のある光景が蘇(よみがえ)る。Toshiと2人で、Xでの「日本征服」、そして「世界征服」を語り合った日のことだ。
アルバムに連なる新曲には彼の意思が込められた。例えば、『Born to be free』にはこんな歌詞がある。
Born to be free(自由になるために生まれた)
Nobody can steal our life away(誰にも俺たちの人生は奪えない)
「父、HIDE、TAIJIの死と向き合った自分は今、生かされていることの意味を考えます。今は音楽こそが“希望”を導くと信じられるんですよ」
未来など信じられなかったYOSHIKIは、もういない。彼はこの先もステージに立ち、生きることの尊さを叫び続ける。
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