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■ 2006年12月上旬
YOSHIKI帰国
2007年1月2日放送「ズバリ言うわよ」
2007年1月24日放送「バリバリ☆バリュー」
の収録。
■ 2006年12月クリスマス
TOSHIと再会。カラオケで
YOSHIKI「Tearsが上手く歌えたらXに入れてあげるよ」
と、後日談。
水面下ではすでに再結成の話が進行中(?)
■ 2006年12月25日
YOSHIKI mobileメッセージ。
YOSHIKI「ある人から本当に久しぶりに電話が…上手く表現できない精神状態になっちゃった…」
■ 2007年2月9日
小室哲哉のMySpaceBlogにて、
「公式ではないけどX JAPANがTOSHIを含めた4人で再結成を果たす」
との書き込み。
■ 2007年2月10日
TOSHI official siteにてコメントがアップ。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
半年ほど前でしょうか、XJAPANのマネージメント事務所のかつての社長と、私が一番苦しいときも支え続けてくださった音楽業界の恩人が「話を聞いてほしい」と私のコンサート会場に足しげく訪ねていらっしゃいました。
これまで多くの方が「XJAPAN」の復活話を持ちかけてきましたが、私にはその気はまったくなく、今が豊かで幸せだし、利権がらみのトラブルで散々な目にあってもきたし、ともかくすべてお断りしておりましたが、しつこいくらい何度も何度も、私に怒鳴られ、時には蹴り飛ばされても、それでも足を運んでくださるので、恩人をないがしろにもできず、お話を聞くこととなりました。
「ほかのメンバーもやりたがってる、Toshiはどうだろうか?」と熱く真剣に何度も何度も頼み込まれたので、さすがにそこまで言うならと思い、その後Yoshikiにも確認したところ、やりたいというので、共通の友人でもあるアーティストにも応援と期待をいただいてこれまで話を進めています。
一部週刊誌報道について
残念なことに、当初から私たちを貶め続けてきた一部週刊誌が新たなるプロジェクトの邪魔をすべく、まったくの虚偽、でっちあげ記事を捏造しているようです。
悪劣なでっちあげ週刊誌とその記者には厳しく法的対応をいたします。地道に歌ってきた8年間にわたって、ずっと私という利権を奪うために脅迫したり、陥れたり、マスコミを悪用して貶めたりして私の大切な人やものを破壊し続けてきた本当にあくどい輩には今後も一切利権を渡さず、またそのような輩は絶対に許さず、徹底的に闘う所存にございます。その悪質な人たちの利権の奪い合いに巻き込まれ「虐待」などと嘘をいわれ心身傷つけられた子供たちは、その虚偽の告発をした人に対して私同様に「懲戒請求」をだしてもいます。
Toshiの周辺を潰して、利権に戻せば金をもらえる、そのためにカルトだ、洗脳だ、虐待だなどと嘘をついてビジネスしてきた、あるいはこれまでそのような悪質な連中に加担してしまっていた人たちの中でも、こちらに情報を伝えてくれる方もどんどん増えてきて、悪質な内情が明らかになってきました。
そのように一旦悪事に加担していたとしても、2度とそのようなことはしないと反省して、本当のことを伝えて貢献してくださるなら、誰にでも間違えはありますから、そのような方を責めたりは決してしないし、そのような純粋さを取り戻した人の罪を追求など決してしません。また、そのような人は連絡をしてください。
しかしながら、平然と嘘をついて人を陥れたり、足を引っ張ったりするような連中と一緒になってこれ以上虚偽のことで攻め立て続けるなら、私は絶対に許しません。
このようなものを仕掛けている利権目当ての悪質な私利私欲の輩たちによって仕立て上げられた騒動によって、この8年間、本当に本当に逆境の連続でした。
そしてこれからも幾多の逆境もあるでしょうが、どんなときも逃げずに乗り越えて、明るく前向きに生きていきたいと思います。
またどちらかでお目にかかれますこと、楽しみにいたしております。
■ 2007年2月28日
YOSHIKI mobileメッセージ。
YOSHIKI「どうして" 今 "なの?もう少し考えさせて…。」
■ 2007年3月上旬
「FLASH」にて。
PATA「復活については聞いてません」
■ 2007年3月21日
TOSHI official siteにてコメントがアップ。
「100万の言葉よりも1曲のうた」
先日、数日間アメリカ・ロサンジェルスに渡米する機会があった。
滞在の合間に、旧友と再会をした。場所は彼が所有するレコーディングスタジオだった。
10年ぶりに訪れたそのスタジオは、当時にも増してさらに広くなっていて、
何よりも驚いたのはそのスタジオ設備、機材の豊富さであった。
おそらく世界一であろう。そのこだわりが彼らしいと思った。
そんな世界最高峰のスタジオで、彼が創ったある楽曲を聴いた。
やはり10年近く前、共通の友人の死別を経験したのだが、その悲しみ、痛み、絶望から生まれた曲だった。
友人が死んだ数日後に一気に書き上げたという。
涙のしずくを思わせる悲しく儚いピアノのイントロに美しいストリングスの調べが重なって、
男性ボーカルの仮歌まで入っていたその楽曲は、いかにも彼らしい王道のバラードだった。
その詩曲を聴きながら僕は涙が止まらなかった。
こんなうたが世界中に届けばいいと、その曲を聴きながら心から思った。
僕にうたってほしかったと言ってくれたその旧友のピアノに合わせて、そのうたをうたった。
10年前と変わらず、彼が一音一音丁寧にピアノでメロディーを教えてくれる。それをなぞるように僕はうたう。
彼独特のメロディーに彼独特のリズム感で言葉がうたになる。
「ここちよく歌えるキーよりも、少し苦しいくらいの高さのキーがちょうどいいんだよ」と彼は言って、キーも決めた。
あらためて通して歌ってみた。また涙がこみ上げてきた。
「100万の言葉をならべるより1曲のうただね…」
旧友は言葉を振り絞った。
サングラスをしていた彼もまた涙しているように見えた。
共にこころが動いた瞬間だった。
多くを語らずとも、1曲の楽曲が再び僕たちをつなぎ合わせた。
もしかしたら今は亡き大切な友が繋いでくれたのかもしれない。
知り合って37年間、幼馴染の僕たちはなんだかんだといっても共に突っ走り続けてきた。
僕は世界を目指して走ることに疲れ、10年前に別々の道を歩むことを彼に告げた。
殺伐とした自分の心や人の心を癒すような歌を歌いたいと思った。
そして僕はこの10年間、日本中を旅して子供たちや、おじいちゃんおばあちゃんたちや、
本当に多くの人々と直接ふれあい、歌ってきた。
本当に感動と涙と学びの10年だった。
そのかけがえのない経験を力に、友を失った悲しみから生まれた美しき命の歌を、
今度は旧友と共に今の時代にこそ奏で、届けたいと思う。
新たなる活動が始まる日がまもなく訪れる。
「100万の言葉よりも1曲のうた」とともに…。