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ん??
「もうその頃から、彼が色んなことを、元奥さんの話とかも、これまで僕に言えなかったことを素直に伝えるようになりましたね」
ん?どういうこと?彼とはYOSHIKIのことですよね?
今まで「元妻」と言っていたのに、ここだけ「元奥さん」?
この1文で2つの意味に取れるんですけど。
自分の考えすぎ?
ま…いっか(笑)
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デイリー
2014/08/26/0007273002.shtml
●Toshl告白(3)YOSHIKIへの告白
ロックバンド・X JAPANのToshl(48)が、1997年から12年間、元妻に誘われた自己啓発セミナーに傾倒し、主宰者と元妻に暴力支配を受けた詳細を、自著「洗脳 地獄の12年からの生還」(講談社)で告白している。08年のX JAPAN再結成後も続いた、酷使と搾取の日々。地獄から生還したToshlがデイリースポーツに、暗黒の日々を赤裸々に明かした。
◇ ◇
‐セミナーによって家族とも切り離された時期に、お父さんが03年に亡くなられています。もし、お父さんの声が耳に届けば、との思いはありますか。
「父はそれまでも病気を患っていて、半身不髄で失語症で言葉が出なかったものですから。今思えばやはり父が達者でいてくれて、何かコミニケーションがとれていたらと。僕は父が大好きでしたから悔やまれます」
「父は公務員で地味な性格で、目立たずともコツコツ努力するタイプで、僕はそういうのをすばらしいなと思う。そういう風に生きてきた彼の、なにかちょっとした言葉でも聞けていたら、また違う道があったかもしれないと思います」
‐セミナーから脱却後、ご家族との関係は取り戻せたのでしょうか。
「いや取り戻してないです。家族仲良くするのが一番いいに決まってるんですが僕も破産して、一文無しの僕に家に戻っても居場所はなかったですし。しこりというか、残念ながら疎遠になってます」
(07年、セミナー側主導でのX JAPAN再結成に動くよう指示されたToshlは9年半ぶりにYOSHIKIに連絡を入れた。米国で再会したYOSHIKIは多くを尋ねず、最終的には自身の仕掛けで動いた。その際、YOSHIKIはToshlに「本当に信頼してもいいよね」と問いかけ、珍しく幼なじみだった頃の昔話をしてきたという)
‐YOSHIKIさんが「信用していいんだよね」と聞いてきて、それに「大丈夫」と答えられています。
「そこが一番、彼が聞きたかったところだったんじゃないかなと思います」
‐セミナー側の思惑を隠しているという、後ろめたさはなかったですか。
「ありましたね。やっぱりどっか、何かが引っかかっているというのは、常にありました」
‐いずれ謝罪しようと思っていたのですか。
「その時は、まだなかったですね。当時、僕はまだ半分以上、向こう側の人間でしたので」
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デイリー
2014/08/26/0007273000.shtml
●Toshl告白(4)ファンへの謝罪
ロックバンド・X JAPANのToshl(48)が、1997年から12年間、元妻に誘われた自己啓発セミナーに傾倒し、主宰者と元妻に暴力支配を受けた詳細を、自著「洗脳 地獄の12年からの生還」(講談社)で告白している。08年のX JAPAN再結成後も続いた、酷使と搾取の日々。地獄から生還したToshlがデイリースポーツに、暗黒の日々を赤裸々に明かした。
◇ ◇
‐YOSHIKIさんとは幼稚園の時からの幼なじみですね。
「自分自身は確かに裏に影はあるんですが、やはり2人で10年ぶりに会って飲みながら話したりすると、少し開放的になる。幼稚園のころの話とか、そういう幼なじみのくだらない話っていうのは素直に楽しかったです」
「その頃から彼はそういう昔話をするようになったんです。以前はカリカリした感じで、そんなことしたことなかったんですが。なにか彼も僕の心をこう開こうとしてくれたのかもしれません。つかの間ですけどリラックスした気分になりましたね」
(しかし、X JAPAN再結成後も、セミナーによるToshlへの酷使、搾取は続いたという)
‐再結成後、YOSHIKIさんからセミナーに関して問われたことはありましたか。
「それはないですね」
‐あえて聞かなかったのでしょうか。
「そうかもしれないです。何か裏で色んな事を確認をしたり、いろいろ状況を把握してたりはしてたかもしれないんですけれども、面と向かってはなかったですね」
(09年、ついにToshlは心身ともに限界を越え、営業先で倒れる。そこで知人に救われ、紹介された警察OBだという老紳士の屋敷にかくまわれ、ようやくセミナーからの脱却を果たした)
‐最終的に全ての事情をYOSHIKIさんに話したのはいつになるのでしょうか。
「2010年の1月、ロサンゼルスでミュージックビデオの撮影があったんですが、その場で彼に対して自分は逃げ出してきたんだという話をしました。そしたらYOSHIKIも『自分も色んなことがあったんだよ』と」
(この撮影を最後にToshlは音楽を辞めようとも考えていたが、YOSHIKIのこの言葉で決意を新たにしたという)
「もしYOSHIKIがその時まだトラブルを抱えていたら、僕は(その後は)もしかしたら一緒にやらなかったかもしれない。彼も彼なりのことがあった、僕も僕なりのことがあった。なんか偶然なんですけれども、タイミングが一致して。2人とも自分の足で立ってまたやっていこうという時期が同じだったということですね」
「もうその頃から、彼が色んなことを、元奥さんの話とかも、これまで僕に言えなかったことを素直に伝えるようになりましたね」
‐皆さんToshlさんには聞けないことが多かったんでしょう。
「もう最初(元妻との交際当初)からずっと思ってたみたい。メンバー全員そうなんですけど。YOSHIKIだけじゃなくて周りの方々も皆。僕が中に入っているときは、なかなか言いづらい。僕も逆の立場だったらなかなか言えなかったでしょうしね。夫婦のことですし、なにかおかしいぞって皆感じていながら。皆、もうちょっと早く言ってくれたら…いや、そういう責任は重いですし、言えないですよね」
‐ファンを巻き込んだと感じる部分はありますか。
「ファンの方々を巻き込んで、その団体の中に入れてしまったとか、そういうことは一切ないんですが、ただ自分が主宰者のCDを売り歩き、コンサートのチケットも買っていただいたのは明らかで、そのお金は全部、彼ら(主宰者ら)が楽しい生活をするために使われた。そういうことに加担させてしまったそういう意味では僕は加害者であると思います」
‐今後のToshlさんはどうありたいですか。
「いろんな方々に助けていただき、本当に皆さんのおかげで立ち直ることができました。自分も親の年になってきましたので、この経験をメッセージとして伝えることで、悩める若者たちが1人でも変なものに足をすくわれない、踏み外さないよう、少しでも寄与できたらと思います」
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