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■「ちょっと待ってください。まだX JAPANのツアーも正式に決まっていないのに」
──2013年8月26日(月)のグラミーミュジアムでのライブイベントはいかがでしたか?
YOSHIKI:ご存じの通り、僕の場合全く計画性がない状態で物事が進んでいく(笑)ということで、あのイベント自体も、あれよあれよと急に決まっちゃったんですよね。「どうしよう、何やればいいの?」ということで、過去のアーティストがどういうことをやったのかを聞いたんです。レディー・ガガ、ミューズ、リンゴ・スター…、ビーチボーイズがそのイベントの翌日に解散したとか(笑)いろんなエピソードも聞いたりして。人によってはインタビューだけでライブはしていなかったりと、いろいろです。ピアノも全力で弾けるようなコンディションではなかったんですけど、せっかくだからバックにLEDスクリーンを持ち込んで、日本のファン・海外のファンにも観ていただけるようにこなすので精一杯でした。その先のことも考えていなかったし。
──当日はぶっつけ本番みたいな?
YOSHIKI:はい、そうですね。無事に終わってあー良かったと思いました。そしたら、8ヵ所の米コンサートホールのオファーが来ちゃいました(笑)
──皆さん、Ustreamの生放送を観ていたんでしょうか。
YOSHIKI:いえ、グラミーミュージアムのお客さんは基本的には関係者ばっかりなんです。ファンに人たちのために少しはチケットを出しましたけど、グラミーのメンバーが多かったので、それでブッキングしたいと言ってくださって。
──全米興行をやれと?
YOSHIKI:「ちょっと待ってください。まだX JAPANのツアーも正式に決まっていないのに、自分のツアーが決まっちゃったらどうするんですか」って(笑)。
──笑える。
YOSHIKI:僕はあくまでX JAPANのリーダーとして頑張っているんですから。今回『YOSHIKI CLASSICAL』のリリースにあたって、ファンの方から「X JAPANのことも忘れないでください」って言われるんだけど、「いや、忘れるわけないよ、僕はリーダーなんだから(笑)」って。
──それにしても、グラミーミュジアムの最後「Endless Rain」は、TOSHIこそいなかったものの、X JAPANのステージに見えました。あの盛り上がりをみて、YOSHIKIひとりでもX JAPANになるんだと。
YOSHIKI:まあ、僕の身体にはX JAPANという名の青い血が流れていますからね(笑)。どこをとっても金太郎飴みたいに、X JAPANというのは消えないですよね。
──最後はスタンディング・オベーションだったんですよね?
YOSHIKI:そうですね。実は“「Endless Rain」をボーカル無しでやったことの勇気”というのが、自分であったんです。「Endless Rain」のボーカルラインをストリングスで、あるいはピアノで弾こうか弾かないか悩んだんですね。で、弾かなくていいと思った。この曲は全世界ツアーでも回って、海外の人でも知っている人も多いだろうから、勝手に頭の中で鳴らしてもらおうと思って。
──実際、僕の頭の中でもTOSHIの声が鳴っていました。
YOSHIKI:あえてメロディを皆さんに想像させたという新しい試みだったんです。普通はメロディを奏でるでしょ?どんな曲だって。そこを最初からファンの皆さんに投げたという。
──だから思わず会場が大合唱になってしまったんですね。
YOSHIKI:ただ、海外でしたし、本当にどうなるのか想像ついていなかったですよ。
──だからこそのスタンディングオベーションですね。ニコ生はすぐに映像は切れちゃったから、その様子は映っていなかったんですよ。
YOSHIKI:そうなんですか。それじゃその様子もビデオをリリースしたほうがいいかな。ちゃんと撮っているから。
──あ、それがいい。
YOSHIKI:実はあの日、「Anniversary」も演る予定だったんです。前日のゲネプロまでは演っていまして、カルテットとピアノだけでどこまでできるかなと。もともと大編成に近いピアノコンチェルト風の曲なので…。ただ、準備期間がなかったんで手を痛めちゃって当日断念したんです。それもいろんな人達が見ていたので、「「Anniversary」をやるのは面白いね。できるね」とか、1曲クラシックの曲も弾いたほうがいいよねって白鳥の湖とかショパンとか悩んでいたんです。そういう様子もゲネプロでみんな見ていたので、「このコンサートは絶対やるべきだ」と思ってくれたようです。
──なるほど、伸びしろがたくさんあることが分かったんですね。
YOSHIKI:はい、今回のはあくまでも一部だったということで。そういう意味では、ソロツアーは可能性としてはありえるかな。今回は、“クラシックの場合、言葉の壁が全くない”ことを強く実感しましたね。「そうか、言葉の壁がないんだ」と。
──なるほど、歌詞がないですものね。
YOSHIKI:そこまで考えていなかったから、気付かされました。「こんな素直にメロディーがいっちゃうんだ。そうだ、歌詞がなかったからか…」と。
──『YOSHIKI CLASSICAL』の海外でのリリース要望が高まったのも、そういうところがあるんでしょうね。
YOSHIKI:メロディがストレートに入ってくるんですね。
──日本での『YOSHIKI CLASSICAL』ソロツアーの予定はありませんか?
YOSHIKI:あります。カーネギーホールの話も頂いているので、その流れの一環で考えています。やっぱり僕はファンの人達と交流するのが好きで、結局、アーティストって水の中の魚というか、海がファンで、その中で泳ぐのが一番なんです。水を得た魚というんですか?スタッフにも「ステージに立つとYOSHIKIって元気だね、嬉しそうだね」って言われるんです。実際自分でもそう思います。パフォーマーとして自分があと何年できるかわからないでしょう?そんな中でできるだけパフォーマンスをしていきたいなと最近強く思います。レコーディングスタジオの中で何年もこもっているようなことがずっと続いていたんで、もっとステージに立っていきたいというか、立てるときは立ちたい。スタジオにこもって譜面に向かってずっと考えている時間というのは結構あるわけで、今までもこれからも書かなくちゃいけないんでしょうけど、もっとパフォーマンスに集中していきたいなという感じです。
──ステージ上のYOSHIKIって、結構フランクな感じなんですよね。
YOSHIKI:もともとX JAPANもステージに立っちゃうと結構普通なんですよね。ただ、音楽を演奏している瞬間にスイッチが切り替わるんですけど、でもMCになるとまた普通に戻っちゃう。そういう意味ではあんまり“作ってない”かもね。
──わかります。
YOSHIKI:昔、デヴィッド・ボウイとインタビューした時「どこまでがステージで、どこまでが本当の自分なんですか?」って聞いたことがあるんです。自分自身でオンとオフのスイッチが分からなかったから。
──ほお。
YOSHIKI:デヴィッド・ボウイなんか特に、どこまでが素でどこまでがパフォーマンスなのか分かんないじゃないですか。でも、デヴィッド・ボウイ本人も答えはわからなかった。「すごい質問をしてくれたけど、どうなんだろう自分でもわからない」って。“なら、どっちでもいいんだ、どこでもYOSHIKIなんだ”って考えたら楽になったんですよね。何も作る必要もない。
■もともと僕は、決して穏やかな少年ではなかった
──グラミーミュジアムでのライブイベントではソーシャルからリクエストを受けていましたが、いかがでしたか?
YOSHIKI:やはり「ART OF LIFE」が多かったのが不思議でしたね。
──「ART OF LIFE」全部やれと(笑)。
YOSHIKI:んな無理に決まっているじゃないですか(笑)。もともと「ART OF LIFE」という曲は、CBSソニーにいた時に、TV出演とかラジオ・オンエアーを考えてもっと短い曲を作ったほうがいいという状況下で、自分の中の反発や色んな意味を含めて書いた30分の曲だったんですね。それが今、こういう形で世界で需要を得ているというのがすごく嬉しい反面、不思議。「そうなんだ…あの曲というのは今この時代に世界中の人達の心を打っているんだ」というのがね。グラミーミュジアムでも「ART OF LIFE」の一部をサンプリングしてプレイする試みを演ったんですけど、「ART OF LIFE」へのリクエストはとても興味深かったですね。
──「ART OF LIFE」に埋め込まれた反骨精神…そのパンキッシュな精神性に、人の気持ちが刺激されたり揺り動かされたりするのではないでしょうか。
YOSHIKI:もともと自分自身が激動の少年時代を過ごしてきた…というか、父親を亡くしたときとか暗闇の中を突っ走っていて、行き場を無くした時にたまたまロックに出会った。それまではクラシックしかやっていなかったけど、そのロックに負のエネルギーを全てぶつけた。それがプラスのエネルギーに変わったという。
──ええ。
YOSHIKI:普通の人間がドラムを投げたり叫んだりしていたら、捕まりますよね(笑)。
──まさかYOSHIKIの口から、そんなセリフを聞くとは(笑)。
YOSHIKI:ステージでそういうことをやっているから、それがショーになり人に感動を与えることができて…という、そのようにして本当に音楽に救われたんです。もともと僕は、決して穏やかな少年ではなかった。内向的にも外に対しても尖ってしまっていた。当時は“いつ死ねばいいんだろう”と、死ぬ機会を探していたみたいな少年だったんで。少年と言ってもそのままおとなになっちゃったんですけどね。でもロックと出会って、時には大きな行事の主題歌も書かせていただいて、音楽に救われてきた。それでもやっぱり、どっかに僕は刺を持っている。どんなきれいなメロディでも刺がある。その刺が、その世界中のそういう人たちに、何か悲しみを持っている人たちに刺さるんじゃないかとは思ったりもします。単純にきれいなメロディを提供しているのでもなく、ノリやすいポップを提供しているんじゃなくて、どこかそのメロディの中に刺が入っていて、ね。
──音楽に救われたと言えば、今回石巻市に行ったんですよね?
YOSHIKI:もともと行きたかったんです。チャリティはライフワークのようにやっているんです。僕が自分がそういう少年だったんで、傷を負ってしまった子どもたちを支えたい。でも今回行って思ったのは、それを支える人たちもが強くなくてはいけないんだなということだった。子どもたちだけではなく先生たちとも今回色んな話をしたんですけど、彼らがいてくれることで、はじめて子どもたちも頑張れるんだなと。
──大切なポイントですね。
YOSHIKI:どれだけ復興しているのかも気になっていたんですけど、市長さんの話では本当の復興は10年20年かかると。心に負った傷はこれからまだまだかかる、これからが本当の勝負だと。まだ仮設住宅に住んでる人もすごく多い。災害が発生したときは多くの注目を集めますけど、2年後でも3年後でも、僕らのような立場の人間が被災地の現実を伝えていく責任があるとも思っています。自分が行ったことで何ができるか自分でも模索中ですけど、その状況を目で見てメディアを通して「まだいろんな支援が必要なんですよ」と訴えることができることも含めて、長いスタンスで続けなければいけないと思っています。
──話してくれてありがとうございます。
YOSHIKI:チャリティーって、支援する側も強くなければいけないんです。それぞれの人がそれぞれの出来る範囲でやっていけばいいと思うし、無理して自分のすべてを投げ出してやる必要はない。僕は音楽家として自分のできる範囲で自分のできるペースで、今回このタイミングで、行ってきたということです。
──その言葉をそのまま記載しますね。
YOSHIKI:保育園、小学校、中学校と回ってきたんですが、場所によっては3割の人が被災してしまっている中で、こっちが逆に勇気をもらったりしました。中学校に行くと男性がサインを求めてくるんです。X JAPANって昔から男性ファンって多いんですよね。こんな格好してますけど、とてもそれが嬉しかった。先生が「いつも突っ張っている生徒がYOSHIKIさんのサインをもらっていてびっくりしました」とかね。なにか同じ匂いを感じだんじゃないでしょうかとかね、その辺りも興味深かった。
──痛みは味わった者にしか分からないからね。
YOSHIKI:今回、東京オリンピック開催決定で日本が明るくなっていって欲しいですし、そんな中でケアしなくてはいけないところに被災地の問題がありますから、そういう部分で自分が少しでも力になれればいいと思っていますし、是非『YOSHIKI CLASSICAL』も聞いてみてください。心に触れるメロディがいっぱい入っていると思います。
取材・文:BARKS編集長 烏丸哲也
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