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BARKS
● X JAPANに透けて見えた、音楽産業の羅針盤
2010年、ロサンゼルスから始まり、オークランド・シアトル・バンクーバー・シカゴ・トロント・ニューヨークと北米を巡り、2011年にはロンドン・パリ・ユトレヒト・ベルリン・大阪・東京・サンティアゴ・サンパウロ・ブエノスアイレス・リマ・メキシコシティ・ソウル・上海・香港・台北・バンコク…と、欧州/南米/東南アジア各地のライブを敢行してきたX JAPAN。国が変われど人種が変われど、X JAPANがオーディエンスの心に鳴り響かせた音楽の神髄は、何一つぶれることなく大きな共鳴を見せてきたのは、これまで逐一お伝えしてきたとおりだ。
世界ツアー最終となったバンコクでのパフォーマンスを終えた2日後の2011年11月10日、日本に帰国してきたYOSHIKIをキャッチした。ライブ直後も現地TVの取材を複数受け、ミート&グリートをこなし、極端な睡眠不足に陥っている状況であったが、YOSHIKIはにこやかに話し始めた。
──“世界への進出”というひとつの夢がついに叶いましたね。
YOSHIKI:そう思います。感謝の気持ちでいっぱいです。自分はすごく運がいい人間ではないかと思いますね。もちろん努力もしてますけど…、X JAPANは<THE LAST LIVE~最後の夜~>の時点で終わって、すぐにHIDEを失って、もうその時点で120%復活はないと思っていましたから。
──あの頃は既にYOSHIKIもバンドマンではなくプロデューサー業に意識が移っていましたし。
YOSHIKI:そうですね。Violet UKはやっていましたけど、自分がロックバンドとしてステージに立つことはもうないと思っていたから。
──でも、現実は思いもよらないシナリオを書くわけで。
▲X JAPAN 2008年3月28日(金)東京ドーム ~破壊の夜~
▲X JAPAN 2008年3月29日(土)東京ドーム ~無謀な夜~
▲X JAPAN 2008年3月30日(日)東京ドーム ~創造の夜~
YOSHIKI:TOSHIと話し始めるようになり、HIDEはいないけど、でも1回やってみようと話が上がったんですよね。X JAPANは1997年にラストライブをやりましたけど、実は、本当の意味で終わりのふんぎりがついてなかったんです。あの時は怒りや悲しみの方が強かったから。「綺麗なピリオドを打とう、最後に有終の美を飾ろう」と2008年東京ドーム3Daysに臨みました。
──そこでX JAPANは見事な復活を遂げ、次へのスタートを切ってしまったわけですが。
YOSHIKI:感触がつかめて、もっとやってもいいんじゃないかと頭をよぎったのが、世界ツアーでした。
やりたくてもできなかった世界ツアーの筋書きが見え始めた瞬間がここだった。解散前からX JAPANが世界に対し常に言い放っていたキーワード、それが世界進出であったし、YOSHIKIとHIDEが語る夢もここにあった。…が、現実は厳しかった。X JAPANは1992年に米タイム・ワーナーと契約を果たすも、事実上活動は困難を極めた。日本でどれだけ名を馳せようと、欧米の文化において日本のロックバンドを受け入れる体制は皆無に等しかったのだ。日本が生みだした文化、X JAPANが打ち出す美学が世界に広がるには、まだまだ時間が必要だった。
あれから10年…いや、ほぼ20年もの年月が流れ、クールジャパンは世界の文化に影響を与え始めた。X JAPANが生みだしたJapanese V-Rockは、世界中に広がり古今東西のロック・オーディエンスの琴線を激しく震わせ始めていた。そのオリジネーターX JAPANへの渇望は、世界規模で静かに深く広く浸透していた。文字通り、時代がX JAPANに追い付いたのである。そこにはなんと18年もの年月が必要だったことになる。
近年、日本の若きビジュアル系バンドが海外に進出し、日本のロックが広まっていったことを捉え、YOSHIKIは「まず若い方たちに感謝しなきゃ」と微笑む。ビジュアル系の始まりは何だったのか、と興味を持った世界中のオーディエンスがX JAPANに行き着いたと、YOSHIKIは分析する。そしてそこにはネットの異常なる進歩が大きくかかわっていると語る。
BLUE BLOOD
X
Jealousy
X
──そうですね。インターネットの登場も大きいですね。
YOSHIKI:大きいです。僕達がいない間にX JAPANはどんどん広まっていった。自分としては夢をみているような感じですよ。アメリカに住んで15年以上経ちますけど、最初の10年近くは街を普通に歩けましたから。それがいつの間にか街中で外人からサインを求められたり写真を撮られたり。最初は意味がわからなかったですよ。誰か有名人に間違えられているのかな?とか(笑)。
──んなバカな。
YOSHIKI:「YOSHIKI!」って言われ始めて、MySpaceを始めたら海外からアクセスがどっときて、それがアジアだと思ったらヨーロッパだった。最近はツイッター経由で、その範囲もロシアや中近東、インドネシアやスペインなど、世界各国になりました。まさしく、昔から自分が信じていた「絶対に音楽は国境も年齢もすべて超えて行ける」ということが夢のように起こってしまっている感じ。
そんな環境に恵まれたことをYOSHIKIは「運がいい」と謙虚に笑うが、もちろん、ラッキーで手に入れた環境などではない。信念を貫き、無敵と書いてエクスタシーと読み、無謀と書いてYOSHIKIと読み続けた自ら敷いたいばらの道を、逆境の中で突き進み続けた20年もの孤軍奮闘の姿を、私は見続けてきた人間のひとりだ。
▲X JAPAN 2011年10月30日(日)上海 Shanghai Grand Stage
YOSHIKIは、自分に与えられた今の立場を「いろんな要素が重なって、ここにいる。いろんなバンドの人たちや、世の中が与えてくれた使命みたいなもの」と言いあらわした。YOSHIKIが自分で突き進んだ道は、“YOHSIKI”というアーティストに生き、与えられたテーマを全うすることだ。“YOSHIKI”という巨大な存在を、全身全霊で全うするという感覚でもあるかもしれない。自分自身が生み出した“YOSHIKI”というキャラクターに生かされている状況でもあろうし、“YOSHIKI”を俯瞰でプロデュースする感覚でもあり、そして自らステージに立つ“自らがYOSHIKIそのもの”でもあるだろう。
様々な立場に身を置き多くの責任も背負いながら、ロックフィールドで戦っていくことは、自身を混乱させたり、何を基軸にすればよいのか判断基準すら見失うことも起こりえるだろう。だからこそ、YOSHIKIは、初心に返った大切さを力説する。
──世界ツアーは未経験なことばかりだったでしょう?
YOSHIKI:場所によっては楽屋に電球が1つしかなくて(笑)、暗くて荷物を探すのも大変だったとか。でもそんな状況のなかでも、とにかくやれる幸せの方が大きかった。東京ドームでしかやっていなかった解散前の当時の精神状態だったら、とてもできなかったと思います。メジャーデビューしてどんどん成長していく中で甘やかされていて、「自分たちがいるところがどんなに幸福なのか」がわからなくなってしまっていたから。
▲X JAPAN 2011年11月8日(火)タイ バンコクIMPACT ARENA
──洪水被害まっただ中でタイ公演を強行したのも、ファンを思ってのことですか?
YOSHIKI:タイ公演もぎりぎりまでできるかどうか分からなかった。最終的にGOが出たのは、香港公演が終わった後で…。できるかできないかの可否の可能性も日々状況が変化していました。最初は機材が空港から会場まで運べるかどうか、それがOKでもファンの人たちの交通手段があるのかどうか…。
──歴史的な未曽有の天災時に重なるなんて、小説より奇…な状況ですね。X JAPANらしいというか…。
YOSHIKI:運命でしょうね。ファンの人たちの間でも「どうしても来てほしい」「今だから来てほしい」という人と、「自分の家が浸水してしまったので今回は延期してくれないか」というメールもいっぱい来ていて、どうするべきなんだろうと迷いました。
──奇しくも東日本大震災の経験をした我々日本人だからこそ、そこには重なる思いも。
▲X JAPAN 2011年9月9日(金)チリ サンティアゴTeatro Caupolican
▲X JAPAN 2010年8月8日(日)<ロラパルーザ>@シカゴ
▲X JAPAN 2010年9月25日(土)LAウイルターンシアター
▲X JAPAN 2010年10月10日(日)ニューヨーク ローズランド・バールーム
YOSHIKI:そうですね、チリに行ったときもそうでした。チリのみんなが大合唱を始めて、「自分たちも乗り切ってきた、がんばって!」という繋がりがありましたね。メッセージやツイッターもいっぱい来てて、自分もそれに返したりしていました。
とはいえ、世界は広い。世界ツアーを通し、文化の違い、肌の違い、国民性の違いを肌で触れ、X JAPANは新たな刺激を受けただろうか。
YOSHIKI:ある程度想定はしていました。ただ自分が想定したものより振れ幅が大きかったかな。ロサンゼルスっていろんな人種が集まっていて、アジア人もヨーロッパ人もいろんな人と触れ合っているので、それなりにそれぞれの特徴はなんとなくは認識しているつもりだったので。でもロサンゼルスはアメリカでも一番シリアスだと思います。エンターテイメントの中心でもあるし、最初はやっぱりシビアな目で見ているんですね。
──品定めの目線ですね。
YOSHIKI:X JAPANは熱心なファンが多いので、半分は始めから熱狂的なんですけど、あとの半分は業界の人も含め、音楽を楽しむというより「この人たちがどんな人たちかみてやろう」みたいな観察に来ている感じで。でも曲が進むにつれて、だんだん身体が動き出してくる。やっぱりアメリカの人たちって1回スイッチが入っちゃうと収拾がつかない程ノリだしちゃう(笑)。それがすごく楽しくてね。北米ツアーはロサンゼルスから始まったんだけど、進んでいくにしたがってメディアから情報も伝わってて、ニューヨークに着くころには最初から爆発みたいな感じでした。
──ニューヨーカーは、最初からフルスロットルですか。
YOSHIKI:はい、すごかったですね。そういう意味では自分たちの中でも、ニューヨークは伝説のライブのひとつだったと思う。ヨーロッパもそうですね。北米ツアーの様子が最初から伝わっていたので、ファンの人たちは最初から情熱的なんですけど、やっぱり業界の人たちは違う。「自分たちはロックの本場だ」「ヨーロッパのロンドンだ」と、そういうプライドある目線や雰囲気も感じました。それも後半からは大爆発になったんですけど(笑)。
──その様子はレポの写真からも伝わりますね。
YOSHIKI:あとね、パリ公演はこれまで何回もキャンセルしていたんで、最初は信じてくれないんです。X JAPAN本当に来るのかって(笑)。
──がはは(笑)、出る出る詐欺? あ、笑っちゃいけないか。
▲X JAPAN 2011年7月1日(金)フランス パリZenith
YOSHIKI:いや、本当なんですよ。僕が何度「行く」と言っても信じてくれないんですよね。だから、会場に入った瞬間にXコールがブワァーっと響いてきていて、「うわー、こんなに待っていてくれたんだ」と、始まったときには涙が出ました。あとね、オランダはベルリンまでの間を埋めるように実験的に行なったんですけど、キャパが小さめだったこともあって、すぐにSOLD OUTしちゃって、プロモーターももっと大きな会場に変えたがっていました。オランダにそんなにファンがいると思ってもいなかったので、びっくりしました。
──嬉しいですね。
▲X JAPAN 2011年7月4日(月)ドイツ ベルリンColumbia halle
YOSHIKI:あとね、ベルリンは…何ていうんですか、ダークな雰囲気とゴスな雰囲気があって…X JAPANが持つゴスの部分が引き出されたという感じでした。そういう点では1番合っていると思いました。ビジュアル系って結構ゴス寄りじゃないですか。
──そうですね。SUGIZOにもゴス要素は強く漂っていますし。
YOSHIKI:ありますね、すごく合ってたな。この地こそX JAPANのホームとなるメイン拠点にすべきなのかなって思っちゃったくらい。ヨーロッパツアーはメンバーとバスで回ったんですけど、移動中もメンバーとよくしゃべったし、絆も深まってよかった。その後日本に帰ってきたわけですけど、その後のサマソニが僕にとっていい経験でした。
▲X JAPAN 2011年8月14日(日)<サマーソニック2011東京>@マリンステージ画像
▲X JAPAN 2011年8月27日(土)<a-nation>@味の素スタジアム
──いいライブでした。
YOSHIKI:サマソニとa-nationというタイプの違うイベントに出させてもらったんですけど、サマソニは最初、本当にアウェイだと思っていたんです。BARKSでも書いていただいていたと思うんですけど、北米・ヨーロッパツアーよりもアウェイだと思っていたんです。
──そう思っていました。
YOSHIKI:そうですよね、母国の日本なんですけど…。ただ、だからといって変に構えないで、今までの流れで、X JAPANのありのままを見せようとメンバーに話しまして。
──迎合する必要もないし。
YOSHIKI:やっぱり意識したのは、地震があった後なので本当に元気になってもらいたいという気持ち。ただ、X JAPANって攻撃性は常に胸に秘めているので、温かな中にも攻撃的なステージを繰り広げたくて、同窓会的なよかった時代を味わうのではなくて、新曲と旧曲を混ぜて進化していきたい気持ちが強く出た内容になった。
──進化への意志は、メニュー構成に現れていますよ。1曲目「JADE」の時点で。
YOSHIKI:再結成バンドにありがちな、旧曲は盛り上がるけど新曲は盛り上がらないっていう、それを完全に打破したかったっていう…。
──キャリアが長いバンドであればこそ、とても難しいテーマですね。
YOSHIKI:難しいですね、その通りなんですよ。「JADE」とかまだ発売されていないけど「BORN TO BE FREE」とかすごい力を入れましたから。やはり「紅」や「Rusty Nail」とかをぶち破んなきゃいけないわけじゃないですか。自分で創ってきたものを越さなきゃいけない。昔のXに負けたくない…今のX JAPANとして勝たなきゃいけないと思う作品だから、すごく考えました。で、そのサマソニを終えて、またすごい自信が付きました。
──マリンステージ(千葉マリンスタジアム)でも、オーディエンスの顔は見えますか?
YOSHIKI:見えますよ。やはり「JADE」のど頭の辺りはヨーロッパと同じ感じがしたんです。北米のロサンゼルスも同じ。最初の頃は少し様子を見ているなって…。でも「Rustyt nail」くらいからは一気にブレイクしてきた感じがして、その後は自分たちもどんどん上がっていって、「X」になったら本領を発揮できたという感じですね。すごく伝わりました。
──マキシマム ザ ホルモンのファンもレッチリ・ファンも、みんなXジャンプしましたよ。感動的でした。
YOSHIKI:そのサマーソニックで、自分たちはそこにいた人たちから一層パワーをもらったんです。その後のa-nationも、しかもシークレットゲストだったので超アウェイだと思っていたので、「もうそこはぶちかましていこう」とステージに立ったんですが、みんな凄くのってくれて、それもすごく嬉しかった。ロックというよりポップス・フィールドの人たちが温かく迎えてくれて、最後はみんなXジャンプしてくれて、それも更に自信につながりました。
──そして南米に突入と。
▲X JAPAN 201年9月11日(日)ブラジル サンパウロHSBC Brasil
▲X JAPAN 2011年9月14日(水)アルゼンチン ブエノスアイレスTeatro Colegiales
YOSHIKI:このまま南米いくぞ!と思っていたら、南米は逆に熱すぎて…。熱狂度がすごいんですよ、お客さんが始まる前からウォーって。これはしっかり気合い入れていかないとお客さんの熱気に負けちゃうんじゃないかと思うくらいの感じでしたね。びっくりしました。先入観も何もなしに楽しんでいるという。すごかったですね。
全てが順調に進んだかのように見える世界ツアーだが、韓国ツアーでは生命線ともいえる左人差し指を負傷していた。ツアーを組んだ以上、何が何でもやり遂げることが重要なことだが、一方で、「明日がないようなライブ」をやってしまう自分がいるという。むしろ、明日のための保険をかけたぬるいライブはやらないのが「無敵」の精神でもあるし、むしろ「明日のないライブをやるべきだ」ともYOSHIKIは明言している。
YOSHIKIのセットは1mm単位でデリケートにセットされている。ほとんど目をつぶってドラムを叩いているため、ちょっと位置がずれるだけに大怪我につながってしまうからだ。韓国でのライブではたまたまシンバルの位置がずれてしまい。それを直そうと思いながらも全力で叩いたことで、指をスネアのリムで叩き挟むという事故が起こった。
その場では出血した血を吸いながら叩き続け無事ステージは終えたものの、その後腫れつづけ、上海に到着後ホテルで骨折の診断を受け、総合病院に緊急搬送となった。運良く骨折は免れており全治2週間という診断だったという。
▲上海のホテルにて
▲X JAPAN 2011年10月30日(日)上海Shanghai Grand Stage
YOSHIKI:明日のないライブをやるべきだと思っているんですけど…その後韓国で指をかなり大怪我しちゃったんです。痛くてもう触れないくらい。上海の時はなるべくこの指を使わないでピアノを弾くようにしました。ドラムは勢いでいっちゃいますけど、ピアノがすごく辛くて。本当は「白鳥の湖」を弾こうと思っていたんですけど、人差し指を使う頻度が多すぎて、急遽変更しました。「ENDLESS RAIN」もリハーサルで弾き方を変えて、人差し指を使わずに弾きました。
──そんなエピソードもあったんですね。
YOSHIKI:でも、折れててもやろうと思いましたよ。できるかぎりなんでもやる、極端に言えば、腕が折れててもやろうと思っていたくらいなので。今回の世界ツアーは、日本でのドームと違って目の前にお客さんがいて、僕達が飛び込める距離にいたんで、自然と昔のパンクロック精神みたいなのが蘇ってきちゃっていました。最初のスタッフがびっくりしていたんですよ。ロサンゼルスで飛び込んだら、「何をやっているの!もうそんなことやめてね」って(笑)。「これからツアーが始まるんだから、大切な身体なんだから」って言われて「あぁ、そうだね、気をつけます」と言いながら、次から次へとやっちゃったんですけど(笑)。
▲2010年8月15日(日)<X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起~世界に向かって~>真夏の夜
──ステージから世界中のオーディエンスをみて、彼らはX JAPANに何を求めているのだと思いますか?
YOSHIKI:1997年に<ラストライブ>があって、HIDEのことがあった時点でアーティストYOSHIKIは1回死んだと思っていたんです。自分はもう裏方に回ろうくらいに思っていて、音楽は続けたいから、作曲家かプロデューサーで生きていこうと思っていたから。今思うのは、それがまた、こういう風になったということは、たぶん自分はファンの人たちに何かの使命があって生かされているんだと思えてきた。「だから怖いものがない」っていうか、ある種の使命なんじゃないかと思っています。
──それを全うしていかなきゃいけないのだ、と。
YOSHIKI:はい。そういう風に生かされている機会を与えられたのであれば、それは使命感という中で、世界を回れば回るほど自分たちが日本人ということを意識します。僕は日本人であり、アジア人であるということ。…多分、アジアのアーティストで世界でトップに立った人ってまだいないんじゃないかな。
──ロックフィールドでは、いないかもしれませんね。
YOSHIKI:クラシックではヨーヨー・マとかいますけど…それを成し遂げたいです。ただね、X JAPANがあの時解散しないで続けていけたらそれが成し遂げられたものなのかは分からない。「僕達ってあのまま続けていたらどうなってたんだろうね」とToshIとも話をしたんですが、「でもその10年間の空白は必要だったんじゃないかな」とToshIに言いました。HIDEのこともあるから必要な10年間とは前向きに捉えることはできないけど、それは必要なものだったと意識すればこそ、今から自分たちにどれくらいの年月が残されているか分からないから、ある意味生き急いでそれをやってみたい。
──世界でトップに立つための道しるべはX JAPANの中にこそあるということですか?
YOSHIKI:海外を回ったらある程度わかると思ったんです。悪く言うと、自分の限界が見えるだろうと。でも、それが見えなかったんです。限界というより、逆に先が見えたと言うか、これはできるんじゃないかっていう。
──オーディエンスが熱烈に求めるものを肌で知ることができれば、それに応えることこそが正義かもしれませんね。
YOSHIKI:そうですね、ただ…アルバムをすぐにでも仕上げなきゃいけない。エージェントからもマネージメントからも言われるのは「新作アルバムなしでツアーを回っていること自体がクレイジーだ」と…。
──クレイジー…褒め言葉ですね(笑)。
YOSHIKI:ニュー・アルバムが完成していないことの言い訳をするつもりじゃないんですが、これまで何十年も繰り返されてきた、アルバムを出してツアーを回る、アルバムを出してツアーを回る…そのパターンって崩れてきているんじゃないかと思うんです。
──肌で感じますか?
YOSHIKI:感じます。何か一旦全ての常識を取り払って音楽業界を考えないと、今までの延長線上で考えていると、それ自体が既に時代遅れな気がするんですよ。
──全くその通りと思います。これまでのレコード業界を支えてきた原盤ビジネスは崩壊し、原盤ビジネス=レコード業界=音楽業界は衰退の道を辿り、完全に斜陽です。でもね、“音楽カルチャー”は決して斜陽ではないから。
YOSHIKI:そうなんですよね、それをX JAPANはツアーを回って実践してきたと思っています。アルバムを出して、アルバムの宣伝のためにツアーを回るという感覚ではなくて、X JAPAN自体を盛り上げるための活動であり、原盤ビジネスはあまり意識されないで世界を回っていたから。
──今、最も時代の先端を走る、次代を牽引する尖った存在だと思います。
YOSHIKI:それもファンのおかげなんですよね。
──X JAPANの本当の凄さはここですね。
YOSHIKI:自分たちは無謀でね、レーベルも定まってないんで、日本だと配信はエイベックス、DVDはジェネオン、ユニバーサル、「JADE」の配信はアメリカはEMI、それ以外はウィリアム・モリス・エンデヴァー経由で各国に回したりしている。全てアーティスト主体で動いているというのは、凄く大変なんですけど、自由で強いんじゃないかと思いますね。
──エクスタシー・レコードというインディーズレーベルの経験とメジャーど真ん中、そして現代の360度展開まで、全ての活動形態を掌握しているのもモンスター所以ですね。
YOSHIKI:インディーズの経験があったから今できるのかもしれないですね。今こそ、何もない状況でやってきた昔に近いかもしれない。
──とはいえ、ニューアルバムは待ち焦がれているんですが。
YOSHIKI:…そうなんですよねぇ、実はアルバムの形態も実はすごく悩んだんですよ。Violet UKでも悩んでいたんですけど、今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう、と。何でアルバム形態で出すのか、3~4曲のマキシシングルのようなものを何個か出していくべきなのか、1曲ずつ配信でいくべきなのか…。これまでも散々やってきたんですけど、「アルバムを出して、ツアーを回ってくれ」って言われるたびに、「何で?」「何のメリットがあるの?」と思う。
──感度高い発言ですね。
YOSHIKI:「業界はアルバムを求めているから」って言われるんだけど、僕達は業界に対してではなく、ファンに対して何を求めているかっていうことだから(笑)。多くが配信ベースになっている今、アルバムを聞くこと自体が、求められているものじゃなくなってきていますよね。その中でどうやってアルバムのコンセプトを作っていくかを考えると、むしろそれはコンサートの流れに則したアルバムを作ろうか…とか、ずっと悩んじゃっていたんで。
──素晴らしい。
YOSHIKI:エンターテイメントなので、そこはいつも考えていますね。僕は基本的に作曲家であり、それを演奏するパフォーマーなんですけど、それをどうやってオーディエンスのところへ届けるかというのをインディーズの時からいつも考えていたんで、単純に作って演奏してハイどうぞ、じゃなくてね。
──興味深いです。もう今の時代、アルバムのためのアルバムなんか作ってほしいとは思いませんから。
YOSHIKI:今はツアーが終わったばっかりで頭の中は真っ白に近い状態ですけど、この何週間でもう一度ツアーを振り返ってツアーでやった意味、何のために今どんな目標に向かっているのかを見極めないといけない。X JAPANもそうです。単純にコンサートやってお客さんも盛り上がって良かったね、楽しかったね、じゃなくて。その次に何をやらなきゃいけないのか、使命感をもっていかないと。
──向かうべきものは?
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YOSHIKI:もちろん、最大のゴールは世界一のロックアーティストになるということだと思います。その過程の中には、もちろんアルバムというものもあると思うんですけど、出したらそれをどうやってプロモーションするのかどういう形態でどういう風にやるのか、それで次は自分はどこにいくのか。これからアルバムを完成させながらちょっとだけ自分に時間を与えて考えていきたいと思います。
──楽しみです。
YOSHIKI:本当にオオカミ少年みたいなんですけど、アルバム自体は本当にほとんどできているんですよ。あとはエンディングやSEの演出部分だけのようなものなんです。でも、それこそアルバムをどのように聞いて欲しいのか、どういう方向で売っていくかに大きく関わるところなので。
──とても大事なところですね。
YOSHIKI:非常に大事です。CDを買う人を中心に考えるならこうだろうけど…でもこういう形でダウンロードされたら凄くつまらないな…とか、やっぱりどのように流通されるかで変わっちゃうんで。
アーティストの自己表現が本当に自由になった今、曲の長さ、曲と曲とのつながりさえも、既成概念にとらわれる必要はなくなった。その後YOSHIKIからは熱を帯びた言葉がたくさん飛び出した。「なんでみんな曲の長さって3分、4分、5分なの?」YOSHIKIは首をかしげる。CDという79分58秒99トラックを上限とするパッケージに縛られた自己表現はつまらない。「3時間、4時間のアルバムって今ならできますよね?別に15分でもいいことですし…」
「例えばね、今まではみんなお皿に料理を盛っていたと思うんです。お皿の大きさが決まっていた。でも今はお皿の大きさも何もないわけですよ。好きな所で好きな料理を作れるっていう。もちろんファンの人たちのお腹の大きさは決まっていると思うので、何十杯も食べられるわけではないし、あんまり少なすぎてもいけないけれど。その中でアルバムは考えていかなきゃいけない。」──YOSHIKI
作品を生み出し表現し伝えるアーティストとして、YOSHIKIは最後に研ぎ澄まされた感性を吐露して微笑み返した。世界中にたくさんのファンが待っていることを、改めて「世界ツアーを回って成長しました。夢を見ているみたいです」と謙虚に受け止め、アルバム完成を目前に、苦しみを抱えながら「前へ向かってがんばります」と、瞳を輝かせた。
音楽を取り巻く環境は、インターネットにより急激な変容を見せた。変化と適応を見せない組織やアーティストは次々と倒れ消え去ることだろう。X JAPANが見せる活動の裏には、グローバル化した日本の音楽産業が世界でどのように響いていくのかを占う、未来を透けて映し出す羅針盤がみえる。1980年代にエクスタシー・レコードで日本のロックの歴史を塗り替えたX JAPANこそ、2010年代を切り開く偉大なるフロンティアである事実を、今ここに刻みとどめておくために、本稿を執筆した。
text by BARKS編集長 烏丸
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● X JAPANに透けて見えた、音楽産業の羅針盤
2010年、ロサンゼルスから始まり、オークランド・シアトル・バンクーバー・シカゴ・トロント・ニューヨークと北米を巡り、2011年にはロンドン・パリ・ユトレヒト・ベルリン・大阪・東京・サンティアゴ・サンパウロ・ブエノスアイレス・リマ・メキシコシティ・ソウル・上海・香港・台北・バンコク…と、欧州/南米/東南アジア各地のライブを敢行してきたX JAPAN。国が変われど人種が変われど、X JAPANがオーディエンスの心に鳴り響かせた音楽の神髄は、何一つぶれることなく大きな共鳴を見せてきたのは、これまで逐一お伝えしてきたとおりだ。
世界ツアー最終となったバンコクでのパフォーマンスを終えた2日後の2011年11月10日、日本に帰国してきたYOSHIKIをキャッチした。ライブ直後も現地TVの取材を複数受け、ミート&グリートをこなし、極端な睡眠不足に陥っている状況であったが、YOSHIKIはにこやかに話し始めた。
──“世界への進出”というひとつの夢がついに叶いましたね。
YOSHIKI:そう思います。感謝の気持ちでいっぱいです。自分はすごく運がいい人間ではないかと思いますね。もちろん努力もしてますけど…、X JAPANは<THE LAST LIVE~最後の夜~>の時点で終わって、すぐにHIDEを失って、もうその時点で120%復活はないと思っていましたから。
──あの頃は既にYOSHIKIもバンドマンではなくプロデューサー業に意識が移っていましたし。
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──でも、現実は思いもよらないシナリオを書くわけで。
▲X JAPAN 2008年3月28日(金)東京ドーム ~破壊の夜~
▲X JAPAN 2008年3月29日(土)東京ドーム ~無謀な夜~
▲X JAPAN 2008年3月30日(日)東京ドーム ~創造の夜~
YOSHIKI:TOSHIと話し始めるようになり、HIDEはいないけど、でも1回やってみようと話が上がったんですよね。X JAPANは1997年にラストライブをやりましたけど、実は、本当の意味で終わりのふんぎりがついてなかったんです。あの時は怒りや悲しみの方が強かったから。「綺麗なピリオドを打とう、最後に有終の美を飾ろう」と2008年東京ドーム3Daysに臨みました。
──そこでX JAPANは見事な復活を遂げ、次へのスタートを切ってしまったわけですが。
YOSHIKI:感触がつかめて、もっとやってもいいんじゃないかと頭をよぎったのが、世界ツアーでした。
やりたくてもできなかった世界ツアーの筋書きが見え始めた瞬間がここだった。解散前からX JAPANが世界に対し常に言い放っていたキーワード、それが世界進出であったし、YOSHIKIとHIDEが語る夢もここにあった。…が、現実は厳しかった。X JAPANは1992年に米タイム・ワーナーと契約を果たすも、事実上活動は困難を極めた。日本でどれだけ名を馳せようと、欧米の文化において日本のロックバンドを受け入れる体制は皆無に等しかったのだ。日本が生みだした文化、X JAPANが打ち出す美学が世界に広がるには、まだまだ時間が必要だった。
あれから10年…いや、ほぼ20年もの年月が流れ、クールジャパンは世界の文化に影響を与え始めた。X JAPANが生みだしたJapanese V-Rockは、世界中に広がり古今東西のロック・オーディエンスの琴線を激しく震わせ始めていた。そのオリジネーターX JAPANへの渇望は、世界規模で静かに深く広く浸透していた。文字通り、時代がX JAPANに追い付いたのである。そこにはなんと18年もの年月が必要だったことになる。
近年、日本の若きビジュアル系バンドが海外に進出し、日本のロックが広まっていったことを捉え、YOSHIKIは「まず若い方たちに感謝しなきゃ」と微笑む。ビジュアル系の始まりは何だったのか、と興味を持った世界中のオーディエンスがX JAPANに行き着いたと、YOSHIKIは分析する。そしてそこにはネットの異常なる進歩が大きくかかわっていると語る。
BLUE BLOOD
X
Jealousy
X
──そうですね。インターネットの登場も大きいですね。
YOSHIKI:大きいです。僕達がいない間にX JAPANはどんどん広まっていった。自分としては夢をみているような感じですよ。アメリカに住んで15年以上経ちますけど、最初の10年近くは街を普通に歩けましたから。それがいつの間にか街中で外人からサインを求められたり写真を撮られたり。最初は意味がわからなかったですよ。誰か有名人に間違えられているのかな?とか(笑)。
──んなバカな。
YOSHIKI:「YOSHIKI!」って言われ始めて、MySpaceを始めたら海外からアクセスがどっときて、それがアジアだと思ったらヨーロッパだった。最近はツイッター経由で、その範囲もロシアや中近東、インドネシアやスペインなど、世界各国になりました。まさしく、昔から自分が信じていた「絶対に音楽は国境も年齢もすべて超えて行ける」ということが夢のように起こってしまっている感じ。
そんな環境に恵まれたことをYOSHIKIは「運がいい」と謙虚に笑うが、もちろん、ラッキーで手に入れた環境などではない。信念を貫き、無敵と書いてエクスタシーと読み、無謀と書いてYOSHIKIと読み続けた自ら敷いたいばらの道を、逆境の中で突き進み続けた20年もの孤軍奮闘の姿を、私は見続けてきた人間のひとりだ。
▲X JAPAN 2011年10月30日(日)上海 Shanghai Grand Stage
YOSHIKIは、自分に与えられた今の立場を「いろんな要素が重なって、ここにいる。いろんなバンドの人たちや、世の中が与えてくれた使命みたいなもの」と言いあらわした。YOSHIKIが自分で突き進んだ道は、“YOHSIKI”というアーティストに生き、与えられたテーマを全うすることだ。“YOSHIKI”という巨大な存在を、全身全霊で全うするという感覚でもあるかもしれない。自分自身が生み出した“YOSHIKI”というキャラクターに生かされている状況でもあろうし、“YOSHIKI”を俯瞰でプロデュースする感覚でもあり、そして自らステージに立つ“自らがYOSHIKIそのもの”でもあるだろう。
様々な立場に身を置き多くの責任も背負いながら、ロックフィールドで戦っていくことは、自身を混乱させたり、何を基軸にすればよいのか判断基準すら見失うことも起こりえるだろう。だからこそ、YOSHIKIは、初心に返った大切さを力説する。
──世界ツアーは未経験なことばかりだったでしょう?
YOSHIKI:場所によっては楽屋に電球が1つしかなくて(笑)、暗くて荷物を探すのも大変だったとか。でもそんな状況のなかでも、とにかくやれる幸せの方が大きかった。東京ドームでしかやっていなかった解散前の当時の精神状態だったら、とてもできなかったと思います。メジャーデビューしてどんどん成長していく中で甘やかされていて、「自分たちがいるところがどんなに幸福なのか」がわからなくなってしまっていたから。
▲X JAPAN 2011年11月8日(火)タイ バンコクIMPACT ARENA
──洪水被害まっただ中でタイ公演を強行したのも、ファンを思ってのことですか?
YOSHIKI:タイ公演もぎりぎりまでできるかどうか分からなかった。最終的にGOが出たのは、香港公演が終わった後で…。できるかできないかの可否の可能性も日々状況が変化していました。最初は機材が空港から会場まで運べるかどうか、それがOKでもファンの人たちの交通手段があるのかどうか…。
──歴史的な未曽有の天災時に重なるなんて、小説より奇…な状況ですね。X JAPANらしいというか…。
YOSHIKI:運命でしょうね。ファンの人たちの間でも「どうしても来てほしい」「今だから来てほしい」という人と、「自分の家が浸水してしまったので今回は延期してくれないか」というメールもいっぱい来ていて、どうするべきなんだろうと迷いました。
──奇しくも東日本大震災の経験をした我々日本人だからこそ、そこには重なる思いも。
▲X JAPAN 2011年9月9日(金)チリ サンティアゴTeatro Caupolican
▲X JAPAN 2010年8月8日(日)<ロラパルーザ>@シカゴ
▲X JAPAN 2010年9月25日(土)LAウイルターンシアター
▲X JAPAN 2010年10月10日(日)ニューヨーク ローズランド・バールーム
YOSHIKI:そうですね、チリに行ったときもそうでした。チリのみんなが大合唱を始めて、「自分たちも乗り切ってきた、がんばって!」という繋がりがありましたね。メッセージやツイッターもいっぱい来てて、自分もそれに返したりしていました。
とはいえ、世界は広い。世界ツアーを通し、文化の違い、肌の違い、国民性の違いを肌で触れ、X JAPANは新たな刺激を受けただろうか。
YOSHIKI:ある程度想定はしていました。ただ自分が想定したものより振れ幅が大きかったかな。ロサンゼルスっていろんな人種が集まっていて、アジア人もヨーロッパ人もいろんな人と触れ合っているので、それなりにそれぞれの特徴はなんとなくは認識しているつもりだったので。でもロサンゼルスはアメリカでも一番シリアスだと思います。エンターテイメントの中心でもあるし、最初はやっぱりシビアな目で見ているんですね。
──品定めの目線ですね。
YOSHIKI:X JAPANは熱心なファンが多いので、半分は始めから熱狂的なんですけど、あとの半分は業界の人も含め、音楽を楽しむというより「この人たちがどんな人たちかみてやろう」みたいな観察に来ている感じで。でも曲が進むにつれて、だんだん身体が動き出してくる。やっぱりアメリカの人たちって1回スイッチが入っちゃうと収拾がつかない程ノリだしちゃう(笑)。それがすごく楽しくてね。北米ツアーはロサンゼルスから始まったんだけど、進んでいくにしたがってメディアから情報も伝わってて、ニューヨークに着くころには最初から爆発みたいな感じでした。
──ニューヨーカーは、最初からフルスロットルですか。
YOSHIKI:はい、すごかったですね。そういう意味では自分たちの中でも、ニューヨークは伝説のライブのひとつだったと思う。ヨーロッパもそうですね。北米ツアーの様子が最初から伝わっていたので、ファンの人たちは最初から情熱的なんですけど、やっぱり業界の人たちは違う。「自分たちはロックの本場だ」「ヨーロッパのロンドンだ」と、そういうプライドある目線や雰囲気も感じました。それも後半からは大爆発になったんですけど(笑)。
──その様子はレポの写真からも伝わりますね。
YOSHIKI:あとね、パリ公演はこれまで何回もキャンセルしていたんで、最初は信じてくれないんです。X JAPAN本当に来るのかって(笑)。
──がはは(笑)、出る出る詐欺? あ、笑っちゃいけないか。
▲X JAPAN 2011年7月1日(金)フランス パリZenith
YOSHIKI:いや、本当なんですよ。僕が何度「行く」と言っても信じてくれないんですよね。だから、会場に入った瞬間にXコールがブワァーっと響いてきていて、「うわー、こんなに待っていてくれたんだ」と、始まったときには涙が出ました。あとね、オランダはベルリンまでの間を埋めるように実験的に行なったんですけど、キャパが小さめだったこともあって、すぐにSOLD OUTしちゃって、プロモーターももっと大きな会場に変えたがっていました。オランダにそんなにファンがいると思ってもいなかったので、びっくりしました。
──嬉しいですね。
▲X JAPAN 2011年7月4日(月)ドイツ ベルリンColumbia halle
YOSHIKI:あとね、ベルリンは…何ていうんですか、ダークな雰囲気とゴスな雰囲気があって…X JAPANが持つゴスの部分が引き出されたという感じでした。そういう点では1番合っていると思いました。ビジュアル系って結構ゴス寄りじゃないですか。
──そうですね。SUGIZOにもゴス要素は強く漂っていますし。
YOSHIKI:ありますね、すごく合ってたな。この地こそX JAPANのホームとなるメイン拠点にすべきなのかなって思っちゃったくらい。ヨーロッパツアーはメンバーとバスで回ったんですけど、移動中もメンバーとよくしゃべったし、絆も深まってよかった。その後日本に帰ってきたわけですけど、その後のサマソニが僕にとっていい経験でした。
▲X JAPAN 2011年8月14日(日)<サマーソニック2011東京>@マリンステージ画像
▲X JAPAN 2011年8月27日(土)<a-nation>@味の素スタジアム
──いいライブでした。
YOSHIKI:サマソニとa-nationというタイプの違うイベントに出させてもらったんですけど、サマソニは最初、本当にアウェイだと思っていたんです。BARKSでも書いていただいていたと思うんですけど、北米・ヨーロッパツアーよりもアウェイだと思っていたんです。
──そう思っていました。
YOSHIKI:そうですよね、母国の日本なんですけど…。ただ、だからといって変に構えないで、今までの流れで、X JAPANのありのままを見せようとメンバーに話しまして。
──迎合する必要もないし。
YOSHIKI:やっぱり意識したのは、地震があった後なので本当に元気になってもらいたいという気持ち。ただ、X JAPANって攻撃性は常に胸に秘めているので、温かな中にも攻撃的なステージを繰り広げたくて、同窓会的なよかった時代を味わうのではなくて、新曲と旧曲を混ぜて進化していきたい気持ちが強く出た内容になった。
──進化への意志は、メニュー構成に現れていますよ。1曲目「JADE」の時点で。
YOSHIKI:再結成バンドにありがちな、旧曲は盛り上がるけど新曲は盛り上がらないっていう、それを完全に打破したかったっていう…。
──キャリアが長いバンドであればこそ、とても難しいテーマですね。
YOSHIKI:難しいですね、その通りなんですよ。「JADE」とかまだ発売されていないけど「BORN TO BE FREE」とかすごい力を入れましたから。やはり「紅」や「Rusty Nail」とかをぶち破んなきゃいけないわけじゃないですか。自分で創ってきたものを越さなきゃいけない。昔のXに負けたくない…今のX JAPANとして勝たなきゃいけないと思う作品だから、すごく考えました。で、そのサマソニを終えて、またすごい自信が付きました。
──マリンステージ(千葉マリンスタジアム)でも、オーディエンスの顔は見えますか?
YOSHIKI:見えますよ。やはり「JADE」のど頭の辺りはヨーロッパと同じ感じがしたんです。北米のロサンゼルスも同じ。最初の頃は少し様子を見ているなって…。でも「Rustyt nail」くらいからは一気にブレイクしてきた感じがして、その後は自分たちもどんどん上がっていって、「X」になったら本領を発揮できたという感じですね。すごく伝わりました。
──マキシマム ザ ホルモンのファンもレッチリ・ファンも、みんなXジャンプしましたよ。感動的でした。
YOSHIKI:そのサマーソニックで、自分たちはそこにいた人たちから一層パワーをもらったんです。その後のa-nationも、しかもシークレットゲストだったので超アウェイだと思っていたので、「もうそこはぶちかましていこう」とステージに立ったんですが、みんな凄くのってくれて、それもすごく嬉しかった。ロックというよりポップス・フィールドの人たちが温かく迎えてくれて、最後はみんなXジャンプしてくれて、それも更に自信につながりました。
──そして南米に突入と。
▲X JAPAN 201年9月11日(日)ブラジル サンパウロHSBC Brasil
▲X JAPAN 2011年9月14日(水)アルゼンチン ブエノスアイレスTeatro Colegiales
YOSHIKI:このまま南米いくぞ!と思っていたら、南米は逆に熱すぎて…。熱狂度がすごいんですよ、お客さんが始まる前からウォーって。これはしっかり気合い入れていかないとお客さんの熱気に負けちゃうんじゃないかと思うくらいの感じでしたね。びっくりしました。先入観も何もなしに楽しんでいるという。すごかったですね。
全てが順調に進んだかのように見える世界ツアーだが、韓国ツアーでは生命線ともいえる左人差し指を負傷していた。ツアーを組んだ以上、何が何でもやり遂げることが重要なことだが、一方で、「明日がないようなライブ」をやってしまう自分がいるという。むしろ、明日のための保険をかけたぬるいライブはやらないのが「無敵」の精神でもあるし、むしろ「明日のないライブをやるべきだ」ともYOSHIKIは明言している。
YOSHIKIのセットは1mm単位でデリケートにセットされている。ほとんど目をつぶってドラムを叩いているため、ちょっと位置がずれるだけに大怪我につながってしまうからだ。韓国でのライブではたまたまシンバルの位置がずれてしまい。それを直そうと思いながらも全力で叩いたことで、指をスネアのリムで叩き挟むという事故が起こった。
その場では出血した血を吸いながら叩き続け無事ステージは終えたものの、その後腫れつづけ、上海に到着後ホテルで骨折の診断を受け、総合病院に緊急搬送となった。運良く骨折は免れており全治2週間という診断だったという。
▲上海のホテルにて
▲X JAPAN 2011年10月30日(日)上海Shanghai Grand Stage
YOSHIKI:明日のないライブをやるべきだと思っているんですけど…その後韓国で指をかなり大怪我しちゃったんです。痛くてもう触れないくらい。上海の時はなるべくこの指を使わないでピアノを弾くようにしました。ドラムは勢いでいっちゃいますけど、ピアノがすごく辛くて。本当は「白鳥の湖」を弾こうと思っていたんですけど、人差し指を使う頻度が多すぎて、急遽変更しました。「ENDLESS RAIN」もリハーサルで弾き方を変えて、人差し指を使わずに弾きました。
──そんなエピソードもあったんですね。
YOSHIKI:でも、折れててもやろうと思いましたよ。できるかぎりなんでもやる、極端に言えば、腕が折れててもやろうと思っていたくらいなので。今回の世界ツアーは、日本でのドームと違って目の前にお客さんがいて、僕達が飛び込める距離にいたんで、自然と昔のパンクロック精神みたいなのが蘇ってきちゃっていました。最初のスタッフがびっくりしていたんですよ。ロサンゼルスで飛び込んだら、「何をやっているの!もうそんなことやめてね」って(笑)。「これからツアーが始まるんだから、大切な身体なんだから」って言われて「あぁ、そうだね、気をつけます」と言いながら、次から次へとやっちゃったんですけど(笑)。
▲2010年8月15日(日)<X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起~世界に向かって~>真夏の夜
──ステージから世界中のオーディエンスをみて、彼らはX JAPANに何を求めているのだと思いますか?
YOSHIKI:1997年に<ラストライブ>があって、HIDEのことがあった時点でアーティストYOSHIKIは1回死んだと思っていたんです。自分はもう裏方に回ろうくらいに思っていて、音楽は続けたいから、作曲家かプロデューサーで生きていこうと思っていたから。今思うのは、それがまた、こういう風になったということは、たぶん自分はファンの人たちに何かの使命があって生かされているんだと思えてきた。「だから怖いものがない」っていうか、ある種の使命なんじゃないかと思っています。
──それを全うしていかなきゃいけないのだ、と。
YOSHIKI:はい。そういう風に生かされている機会を与えられたのであれば、それは使命感という中で、世界を回れば回るほど自分たちが日本人ということを意識します。僕は日本人であり、アジア人であるということ。…多分、アジアのアーティストで世界でトップに立った人ってまだいないんじゃないかな。
──ロックフィールドでは、いないかもしれませんね。
YOSHIKI:クラシックではヨーヨー・マとかいますけど…それを成し遂げたいです。ただね、X JAPANがあの時解散しないで続けていけたらそれが成し遂げられたものなのかは分からない。「僕達ってあのまま続けていたらどうなってたんだろうね」とToshIとも話をしたんですが、「でもその10年間の空白は必要だったんじゃないかな」とToshIに言いました。HIDEのこともあるから必要な10年間とは前向きに捉えることはできないけど、それは必要なものだったと意識すればこそ、今から自分たちにどれくらいの年月が残されているか分からないから、ある意味生き急いでそれをやってみたい。
──世界でトップに立つための道しるべはX JAPANの中にこそあるということですか?
YOSHIKI:海外を回ったらある程度わかると思ったんです。悪く言うと、自分の限界が見えるだろうと。でも、それが見えなかったんです。限界というより、逆に先が見えたと言うか、これはできるんじゃないかっていう。
──オーディエンスが熱烈に求めるものを肌で知ることができれば、それに応えることこそが正義かもしれませんね。
YOSHIKI:そうですね、ただ…アルバムをすぐにでも仕上げなきゃいけない。エージェントからもマネージメントからも言われるのは「新作アルバムなしでツアーを回っていること自体がクレイジーだ」と…。
──クレイジー…褒め言葉ですね(笑)。
YOSHIKI:ニュー・アルバムが完成していないことの言い訳をするつもりじゃないんですが、これまで何十年も繰り返されてきた、アルバムを出してツアーを回る、アルバムを出してツアーを回る…そのパターンって崩れてきているんじゃないかと思うんです。
──肌で感じますか?
YOSHIKI:感じます。何か一旦全ての常識を取り払って音楽業界を考えないと、今までの延長線上で考えていると、それ自体が既に時代遅れな気がするんですよ。
──全くその通りと思います。これまでのレコード業界を支えてきた原盤ビジネスは崩壊し、原盤ビジネス=レコード業界=音楽業界は衰退の道を辿り、完全に斜陽です。でもね、“音楽カルチャー”は決して斜陽ではないから。
YOSHIKI:そうなんですよね、それをX JAPANはツアーを回って実践してきたと思っています。アルバムを出して、アルバムの宣伝のためにツアーを回るという感覚ではなくて、X JAPAN自体を盛り上げるための活動であり、原盤ビジネスはあまり意識されないで世界を回っていたから。
──今、最も時代の先端を走る、次代を牽引する尖った存在だと思います。
YOSHIKI:それもファンのおかげなんですよね。
──X JAPANの本当の凄さはここですね。
YOSHIKI:自分たちは無謀でね、レーベルも定まってないんで、日本だと配信はエイベックス、DVDはジェネオン、ユニバーサル、「JADE」の配信はアメリカはEMI、それ以外はウィリアム・モリス・エンデヴァー経由で各国に回したりしている。全てアーティスト主体で動いているというのは、凄く大変なんですけど、自由で強いんじゃないかと思いますね。
──エクスタシー・レコードというインディーズレーベルの経験とメジャーど真ん中、そして現代の360度展開まで、全ての活動形態を掌握しているのもモンスター所以ですね。
YOSHIKI:インディーズの経験があったから今できるのかもしれないですね。今こそ、何もない状況でやってきた昔に近いかもしれない。
──とはいえ、ニューアルバムは待ち焦がれているんですが。
YOSHIKI:…そうなんですよねぇ、実はアルバムの形態も実はすごく悩んだんですよ。Violet UKでも悩んでいたんですけど、今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう、と。何でアルバム形態で出すのか、3~4曲のマキシシングルのようなものを何個か出していくべきなのか、1曲ずつ配信でいくべきなのか…。これまでも散々やってきたんですけど、「アルバムを出して、ツアーを回ってくれ」って言われるたびに、「何で?」「何のメリットがあるの?」と思う。
──感度高い発言ですね。
YOSHIKI:「業界はアルバムを求めているから」って言われるんだけど、僕達は業界に対してではなく、ファンに対して何を求めているかっていうことだから(笑)。多くが配信ベースになっている今、アルバムを聞くこと自体が、求められているものじゃなくなってきていますよね。その中でどうやってアルバムのコンセプトを作っていくかを考えると、むしろそれはコンサートの流れに則したアルバムを作ろうか…とか、ずっと悩んじゃっていたんで。
──素晴らしい。
YOSHIKI:エンターテイメントなので、そこはいつも考えていますね。僕は基本的に作曲家であり、それを演奏するパフォーマーなんですけど、それをどうやってオーディエンスのところへ届けるかというのをインディーズの時からいつも考えていたんで、単純に作って演奏してハイどうぞ、じゃなくてね。
──興味深いです。もう今の時代、アルバムのためのアルバムなんか作ってほしいとは思いませんから。
YOSHIKI:今はツアーが終わったばっかりで頭の中は真っ白に近い状態ですけど、この何週間でもう一度ツアーを振り返ってツアーでやった意味、何のために今どんな目標に向かっているのかを見極めないといけない。X JAPANもそうです。単純にコンサートやってお客さんも盛り上がって良かったね、楽しかったね、じゃなくて。その次に何をやらなきゃいけないのか、使命感をもっていかないと。
──向かうべきものは?
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YOSHIKI:もちろん、最大のゴールは世界一のロックアーティストになるということだと思います。その過程の中には、もちろんアルバムというものもあると思うんですけど、出したらそれをどうやってプロモーションするのかどういう形態でどういう風にやるのか、それで次は自分はどこにいくのか。これからアルバムを完成させながらちょっとだけ自分に時間を与えて考えていきたいと思います。
──楽しみです。
YOSHIKI:本当にオオカミ少年みたいなんですけど、アルバム自体は本当にほとんどできているんですよ。あとはエンディングやSEの演出部分だけのようなものなんです。でも、それこそアルバムをどのように聞いて欲しいのか、どういう方向で売っていくかに大きく関わるところなので。
──とても大事なところですね。
YOSHIKI:非常に大事です。CDを買う人を中心に考えるならこうだろうけど…でもこういう形でダウンロードされたら凄くつまらないな…とか、やっぱりどのように流通されるかで変わっちゃうんで。
アーティストの自己表現が本当に自由になった今、曲の長さ、曲と曲とのつながりさえも、既成概念にとらわれる必要はなくなった。その後YOSHIKIからは熱を帯びた言葉がたくさん飛び出した。「なんでみんな曲の長さって3分、4分、5分なの?」YOSHIKIは首をかしげる。CDという79分58秒99トラックを上限とするパッケージに縛られた自己表現はつまらない。「3時間、4時間のアルバムって今ならできますよね?別に15分でもいいことですし…」
「例えばね、今まではみんなお皿に料理を盛っていたと思うんです。お皿の大きさが決まっていた。でも今はお皿の大きさも何もないわけですよ。好きな所で好きな料理を作れるっていう。もちろんファンの人たちのお腹の大きさは決まっていると思うので、何十杯も食べられるわけではないし、あんまり少なすぎてもいけないけれど。その中でアルバムは考えていかなきゃいけない。」──YOSHIKI
作品を生み出し表現し伝えるアーティストとして、YOSHIKIは最後に研ぎ澄まされた感性を吐露して微笑み返した。世界中にたくさんのファンが待っていることを、改めて「世界ツアーを回って成長しました。夢を見ているみたいです」と謙虚に受け止め、アルバム完成を目前に、苦しみを抱えながら「前へ向かってがんばります」と、瞳を輝かせた。
音楽を取り巻く環境は、インターネットにより急激な変容を見せた。変化と適応を見せない組織やアーティストは次々と倒れ消え去ることだろう。X JAPANが見せる活動の裏には、グローバル化した日本の音楽産業が世界でどのように響いていくのかを占う、未来を透けて映し出す羅針盤がみえる。1980年代にエクスタシー・レコードで日本のロックの歴史を塗り替えたX JAPANこそ、2010年代を切り開く偉大なるフロンティアである事実を、今ここに刻みとどめておくために、本稿を執筆した。
text by BARKS編集長 烏丸
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